虎は獅子より先に来た。
上野動物園の話をしている。
百獣の王の来園は二十世紀突入後――西暦一九〇二年、元号にして明治三十五年まで待たなければならなかったが、虎はそれより十五年も先駈けて、この地であくびをかいている。
明治二十年、チャーネリーとかいうイタリアから来た興行団の
その子を目当てに動物園が交渉し、最終的にヒグマと交換条件で話を決着。愛らしさの塊のような四ツ脚を、晴れて迎えたわけである。
幸い飼育は上手く運んだ。日に日に猛獣らしさを獲得してゆく秋葉原の虎。客の人気もうなぎ登りだ。
ところがこの人気者には、いつまで経っても治らない、困った癖がひとつある。
白い服が駄目なのだ。
中身は関係ない。とにかく白衣を着こんだ人間を目の当たりにしたが最後、ぱっと瞳に怒りが燃えて、異様な興奮を示しだす。
目を細め、香箱座りをしていても、途端にすっくと立ちあがり、喉を低く鳴らしつつ、檻の中を歩き廻って示威運動を開始する。
粛殺としたその空気。
(なにが原因だろう)
黒川義太郎は興味を持った。
明治二十五年、初代常勤獣医として上野動物園の経営陣に参画し、ゆくゆくは園長にまで昇りつめる彼である。
この人が調査したところ、意外な事実が浮かび上がった。
虎にはトラウマがあったのだ。いや別に、洒落でもなんでもなく至極真面目な意味合いで。
…此虎が、まだ動物園へ来る前に、佐竹ッ原で小さい檻に入れられて居った頃、白衣の山伏の一団が興行を見に来た。
見ると、檻の中に可愛らしい虎の仔が居るので、面白半分に手に持って居る杖で、格子の外から虎をつっついて見た。すると仔虎が怒って飛びかからうとするが、鉄格子に突っかかって、ひっくり返る。それを見て山伏共は手をたゝいて面白がった。
仔虎時代の其怨みが、深く骨髄に達して居ったと見えて、成長した後も、白い服を着た人間を見ると、必ず身構へて示威運動を始める癖がついてしまったのです。
(『動物と暮らして四十年』20頁)
猫は祟るいきものだ。
あの柔らかな――ときに「液体」扱いされもする――生命体は、受けた怨みを忘れない。
執念深く爪を研ぎ、いつかきっと復讐を成す。たとえ肉体を失おうとも、夢枕に立ち、精神を引き裂く
そういうところも個人的には好きなのだ。なんとなれば、
(世界を報復でひとつにする人)
ずっと以前、実家で少年時代を過ごしていたころ、捨て猫を拾ったことがある。
いや、拾ったのは私ではなく両親なのだが、そのあたりの詮索はべつにいい。とにかく拾って、飼ったのだ。小さな、しかし光沢のある毛並みをもった黒猫だった。
こいつにも妙な癖があり、ビニール袋のガサガサ音をひどく厭がったのである。あれを聴くたび耳を伏せ、姿勢は低く毛を逆立てる有り様だった。
その反応があまりにも度を超えたものであったため、自然とひとつの想像が生まれる。こいつ、もしかして捨てられる際、ビニール袋に詰め込まれ、投げ捨てられでもしたんじゃないか? と。
今回掲げた虎の話で、この想像は更に補強される運びとなった。
(『東方Project』より、凶兆の黒猫・橙)
猫とはやはり、祟る
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