ドイツ、百十五万五千頭。
ロシア、百二十万一千頭。
イギリス、七十六万八千頭。
フランス、九十万頭。
イタリア、三十六万六千頭。
アメリカ、二十七万頭。
以上の数字は各国が、第一次世界大戦に於いて投入したる馬匹の数だ。
合わせてざっと四百六十六万頭か。多い。途轍もない規模である。更にオスマントルコやら、ベルギーやらブルガリアやら、参戦諸国を総計すれば、数はいよいよ膨れあがって六百万にも達するという。
二十世紀半ば以降、機械力が台頭するまで、何千年もの永きに亘り、馬は活動武器だった。
前線に、後方に、兵站に、奇襲に、偵察に、あらゆる任務に、必須欠くべからざる存在であり、よりよき馬を得ることが、すなわち勝利への捷径であり得た。
だから為政者、就中、名将とか賢君とか聞こえの高い人々は、大抵良馬創出に意を尽くしているものである。
家康公が飼い葉桶の中にまで細心の注意を払ったことは蓋し有名な噺であろう。「豆は煮て乾かし藁は細かく切り和らかにして飼付くべし」。仙台藩では文化五年に去勢術を試みて、一定の成果を収めたそうだ。
(小休止中の英国軍)
維新後、明治政府では、陸軍省に軍馬局を設置して、当該任務に就かしめた。
――その軍馬局を。
題材とした詩がある。
創立五十年を記念して編まれたものだ。もっともその時分に於いては軍馬局も様々な変遷を経た挙句、「軍馬補充部」という新たな区分けと名称を獲得していたものの、こまごまとした経緯には煩雑なのでいちいち触れない。
重要なのは、詩、それ自体だ。
七五調で貫かれ、なかなか秀逸な出来と信じる。
埋没させるには惜しいゆえ、この場を借りて紹介したい。
題は至って直截に、「軍馬補充の歌」である。
一、
二、川上・釧路・
育つる駒のかはゆさに 凍えん身をもかへりみず
三、十和田の
群れつゝ遊ぶ三本木 嬉し飼育の甲斐見えて
四、秋風渡る白河や 那須の裾野の末かけて
み空高くも晴るゝ時 駒もひとしほ肥ゆるなり
五、霧島山を朝夕に 仰ぐ日向の高鍋や
六、さはあれ飼育辛労の 心づくしは誰か知る
猛獣襲ふ備へにと
七、あてがふ
母の乳呑子抱く思ひ 祈るは駒の育ちのみ
八、秋開かるゝ馬市場 数千の駿馬集まれる
中に選ばれ若駒の 鬣振ふ雄々しさよ
九、やがて戦の
父の其の子を送るごと 勇みつけてぞ
十、使命を受けて五十年 唯一日の思ひもて
軍馬補充にいそしむも 君の御為ぞ国のため
靖国神社遊就館の手前には、戦没馬慰霊像が
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