霊峰富士は、ある日とつぜん
まるで太閤が若いころ、墨俣で演じた奇術の如く。それはほんの一夜のうちに忽然と聳え立っていたのだと、そういう俗伝が山梨県の各所にはある。
特に郡内、都留のあたりにこそ多い。
地名の由来と、往々にして結合している。
あくまで俗伝は俗伝であり、真実性の保証など、望むべくもないのだが。古人の想像力を窺う上で、なにかしらの取っ掛かりにはなるだろう。
大目村の人々は、東の空が白みはじめた未明ごろ、百万の銅鑼を一斉に叩きでもしたかのような大音響の襲撃を受け、瞬時に夢を破られて、なんだなんだと泡を食いつつどっと戸外へ走り出た。
するとこれはどうだろう、昨日までは何一つとして遮るもののなかった空に、見たこともない大雄峰が鎮まっている。
(あっ)
村人たちのたまげっぷりはまったく声を失うほどで、両のまぶたを限界以上に押し広げ、いまにも眼球が零れ落ちそうな形相になるより仕方なかった。
みんながみんな、
大嵐村の人々も、やはり異音を聞いている。
ただしこちらは一度で終わらず、ずいぶん長く続いたようだ。ほぼ夜通しといっていい。板張りの壁をびりびり鳴動せしめる
音はやがて、太陽が昇ると共に去る。
おそるおそる戸を開けて、富士の姿を目の当たりにした人々は、
「こりゃどうだ、天と地が繋がっちまっとるぞ、おい」
そんなふうに叫んだという。
まるで祭囃子のような、ありとあらゆる管弦楽器の組み合わさった実に華美なる旋律だった。
一説に曰く、富士山はダイダラボッチの創作という。
あの巨人が近江の土を掬い取り、ぺたぺた盛って押し固め、斜面を磨き溝を彫り、八面玲瓏を生み出した。抉られた近江の大地には順次水が流れ込み、琵琶湖の壮大へと
とすると賑岡に響いたという旋律は、巨人を景気づけるため、眷属どもが掻き鳴らしていた行進曲かなにかだろうか。
音楽の力は素晴らしい。
人も、神も、
(Wikipediaより、「岩戸神楽の起顕」)
――以上、永田秀次郎が紀行文中、
…自動車が段々と、登り行くに従って、富士の御山が、いただきから裾の末まで、残るくまなく展開される。丸で崇高な女神の、裸体を見るやうで、あまりに勿体ないやうな、あまりに気の毒なやうな、正視するに忍びないやうな感じがする、富士の御山は、とても普通の山ではない。それには魂が潜んで居る。
あまりに褒めそやすものだから、つい
いわば先日の補遺である。大いに満足させてもらった。お付き合いに感謝する。
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