不運な男がいた。
銃を携え、狩り場に進み出、首尾よく獲物を発見し、急所めがけて引き金を落とす。
何百回と繰り返してきた動作であった。
ところがこの日、山脈みたいに隆々と盛りあがった筋肉を持つ熊を向こうに回したる、この瞬間のみに限って銃は彼を裏切った。
轟音も、硝煙も、反動もない。
弾は不発だったのだ。
(まずい)
慌てている暇もない。思考も血潮も、すべてが凍った。
(Wikipediaより、熊害)
熊は既に彼の存在を察知している。察知しているどころではない。眉間に殺意を漲らせ、三秒後にでも躍りかからんばかりの姿勢だ。最初の一射で確実に仕留める自信があったればこそ、この間合いをゆるしたのである。
ところがもはや前提は崩れた。次弾装填の暇はない。舞台は一七九〇年のスカンディナヴィア、欧州大陸に於いてさえマスケット銃が主流の時代。筒先から炸薬と弾を補充する、しち面倒な動作のすべてが終わるまで、のんべんだらりと待ってくれているほどに、目前の獣は気長な
(えい、ままよ)
と、思ったかどうか。
この場合単なる行動爆発と見る方が適切かもしれない。いずれにせよ、事実はこうだ。手に握った銃器を彼は、
逃げるのではなく、むしろ逆に自分から熊の方へと駆け寄って、筒先で胸を突いたのだ。
(Wikipediaより、南北戦争で使用されたマスケット銃)
相手が人間だったなら、あるいは銃剣でも付けていたなら。
肋骨を砕くぐらいは出来ただろうし、有効な刺し傷を与えることも叶っただろう。
しかしながら不幸にも、現実の猟師はそのどちらの条件も具備してなどいなかった。彼の抵抗は火に油を注ぐだけ、熊の怒りをいよいよ激しく燃え立たせるに終始した。
最初の一撃で、銃が手から吹っ飛んだ。
あおりを食らって彼の身体も横倒しに倒される。
(むりだ)
前脚による、熊の攻撃。ほんの数瞬の接触で、しかし猟師は彼我の間に横たわる絶望的な肉体上のスペック差を痛感させられたのである。
倒れたまま、起き上がろうともせず、死んだふりに移行したのはきっとおそらくそんな「気付き」が関係している。
首の後ろを両手で覆い、ガードして、厄災が過ぎ去るのをひたすらに待つ。
運命の神に祈りを捧げたことだろう。
が、往々にして祈りとは、踏みにじられるためにある。
御多分に洩れず、というべきか。この場合もそうだった。熊はふんふんと鼻を動かし、しかるのち、再び前脚を動かして、彼の頭部を
噴きこぼれる血を大きな舌がべろべろ舐める。
その気味悪さ。
名状しがたい口臭とも相俟って、いっそ地獄に下った方がまだしもマシな状態が、暫くの間持続した。
それでも一切、顔を上げずに通したことが、結果的には彼の
やがて、
だぁーん
と待ち焦がれた音がした。
腥風を嗅いだか、それとも理屈を飛び越えた第六感の発動か。何かしらの方途によって異変を知った猟師仲間が救援に来てくれたのである。
怒号と銃火の乱舞する大騒ぎが熄んだとき、熊は死体となって転がり、猟師は辛うじて息を繋いだ。
もっとも代価は重大で、頭部の傷は毛根の深みにまで達し、猟師は以後の人生をおそるべき禿頭姿で送る破目になっている。
熊はまったく暴虐の化身そのものだ。
連中ときたら綿菓子でも千切るみたいな容易さで、
西洋だけでは片手落ちの憾みがあるから、せっかくなのでもうひとつ、日本の事例も併せて載せておかせてもらおう。
岩手山岳界の重鎮・阿部庸三が昭和十七年ごろに発信した談話こそ、この場合には相応しい。
…岩手山の北斜面に若旗といふ部落があり、こゝから見上げた屏風岩の岩峯は、飛騨側から眺めた奥穂にそっくりなので、我々の仲間に有名だが、この部落に面の皮を剥がれた男がゐる。山道を歩いてゐて出会ひ頭に熊に面接すると、熊の方でも余程驚いたと見え、後脚で立ち上がるなり、パッとその男の顔を大きな掌でひとなでしたまゝ、横へ飛んださうで、男は赤むけの顔のまゝ気絶したのを通行人に助けられたのださうだ。この男は黒い布で顔一面にヴェールをかけ、眼と鼻腔のところへ小穴を開けてゐる。私達の方では有名な男の一人である。
再建手術が未発達な当時といえど、この凄惨さはどうだろう。
もうじき行楽シーズンが盛りを迎える。
山は踏みたし命は惜しし、二律背反を如何せん。
さしあたっては鞄に鈴をつけることから始めるか。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓