穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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冷たい光に照らされて ―東北帝大奇人伝―


 下の画像を見てほしい。

 

 

 


 闇の中、誰とも知れぬ胸像を無数の照明がとりまいて、しらじら浮かび上がらせている。


 重い雰囲気のある展示。だが、この照明――よく目を凝らすと電球ではない。


 フラスコである。


 ただのひとつの例外もなく。


 どの明かりにも、フィラメントは通っていない。


 冷光なのだ。


 フラスコ内壁に寒天培地を張りつけて、発光菌を培養、繁殖させた代物である。大正時代、東北帝大で教鞭を執った植物生理学の大家、ハンス・モーリッシュが好んでこれを作製し、魅入られたように暗室で眺めた逸話から、「モーリッシュのランプ」と通称されることもある。

 

 

Tohoku Imperial University,1913

Wikipediaより、大正二年、東北帝大)

 


「蛍雪の功」とは耳慣れしきった言葉だが、これはその最新式というものだろう。


 雪の降る夜、モーリッシュのランプを四隅に置いた部屋の中、独り黙してゆるゆる思索を練り上げる。想像するだに堪らない、啓蒙の上がりそうな光景だ。星の娘の泣き声や、真珠ナメクジの這いずる音が今にも聴こえて来そうでないか。


 科学という概念自体がなお未熟の段階で、それだけにある種の初々しさ、溌溂たる清新の気に満たされていた彼の時代。ビルゲンワースを地で行くような――研究熱心であるあまり、ともすれば冒涜的とも呼ばれかねない所業にも平気で走る手合いというのは、ことのほかに多かった。


 なんといっても辻二郎、理研の主任研究員で、やがては副所長まで昇りつめる男ですらが、

 


「今後如何に防遏しても科学は遠慮無しに進歩するであらう。此の結果をして人類の幸福側にのみ働かせる事は科学者の仕事ではないので、政治家や経綸家に一段と奮発して貰ふ事を希望するのである」

 


 と、解釈によっては「突き放し」と取れなくもない発言を敢えて呈したほどである。


 社会奉仕など念頭にない、実用性も利用法もすべて二の次、三の次。ただひたすらに面白いから、快感だから、エゴイスティックな好奇心の赴くままに真理へ向かうその態度。個人的には大いに嘉したく思う。


 こういう輩、奇人の類が一定数いなければ、現世はなんと殺伐とした場所だろう。

 

 

 


 解剖実習に熱心なあまり献体の首をちょん切ってこっそり下宿に持ち帰り、「自習」に耽った途轍もないやつもいた。


 油紙に包んで鞄にしまい込んだというが、もしも万一、通学路の途上にて、職質など受けた日には大変なことになっていたろう。


 バラバラ殺人の容疑者として、即座に手錠をかけられたに相違ない。


 並の神経の持ち主ならば解剖初日は胃がむかついて仕方なく、めしも喉を通らなくなるのが普通であるのに、こいつときたらいつもめしを盛ってる皿に平気の平左で生首を載せ、バラしてのけた。


 学生の身でこの探求心、将来有望としかいいようがない。


 実際問題、後日の彼は東北帝国大学の、知らぬ者なき名物教授になっている。


 そう、モーリッシュと同じ東北帝大だ。


 あの方角にはそういう人材をひきつける、妖気の如きなにがしかが漂ってでもいるのだろうか。


 地下にイズの碑でも埋まっていたら面白い。

 

 

 


 北日本は、まったく浪漫だ。

 

 

 

 

 


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