大阪の街の風物詩、中学連合運動会から優勝旗が消えたのは大正四年以後である。
市岡中学の一強体制、同校が頂点に君臨すること六年連続に到達したのが直接的な原因だった。
(Wikipediaより、府立市岡高等学校。市岡中を前身とする)
「常勝」という言葉ほど、「面憎さ」の培養土として相応しいのも珍しい。
由来、勝負事というやつは、実力が伯仲すればするほど面白いのだ。
はじめから一方の勝利が確定している闘いを見てなんの愉快があるだろう? 絶対者による蹂躙劇一辺倒では華を欠く。番狂わせこそ望ましい。勝敗の切所、ぎりぎりのところで押し合いへし合い、飛び散る火花が見たいのだ。にも拘らず期待外れの肩透かしが続いたならば、観客でさえ白けるのである。況してや当事者、蹴散らされし他校生どもに於いてをや。
――やってられるか。
そういう気持ちがどうしたってこみ上げる。毒素となって、徐々に心を蝕んでゆく。
当時の学校校長会は、
「連合運動会に優勝した学校が必ずしも体育に成功せりとはいはれぬ。只特別な技倆の優勝者を有してゐる事を表彰するに過ぎぬ。優勝旗あるが為に、孰れの中学校でも、市岡中学校に対して面白くない感情を有ってゐる」
ざっとこのような声明を出し、競争自体を廃してしまった。
(甲子園ホテル)
敗者の嫉妬や怨嗟やら、暗く粘ついた感情に、どうにかしてもっともらしい理屈をコジツケ罷り通らせようとする苦心のほどが窺える。
順位という概念を
熱気も喧騒も遠ざかり、すっかり色褪せた印象だったが、人間世界を構成するのは二分の道理に感情八分、こういうこともあるだろう。
そのような諦観に基いて、多くが自分を納得させた。
が、
「なにを蒟蒻野郎ども、阿呆な理屈をくどくど好きに並べてからに、日和りやがってボケナスがァ」
全部ではない。むろんのこと、順応せぬ者もいる。
(天王寺公園)
一柳安次郎が代表格といっていい。
大阪市歌の作曲者、当代きっての硬骨漢、市岡中で教鞭を執り直木三十五の師という顔をも併せ持ちしこの人物は、わかりやすく激怒した。そりゃもう怒髪天を衝かんばかりの勢いだった。
就中、「孰れの中学校でも、市岡中学校に対して面白くない感情を有ってゐる」の部分に対し特に不快を覚えたようで、「武士道よりして一瞥する価値もない女々しい語」と口を極めて糾弾し、更に続けて、
「大阪五千の
こんな具合に、まず滅多切りと呼ぶに足る、大胆な所信を披露している。
末尾の方など大阪学生らに対し、校長の決定を覆すべく一大反抗ムーブメントを巻き起こせと暗に教唆しているようにも見えないか。
これはこれで、人間の変物たるを失わぬだろう。男の世界の住人だ。記憶すべき名がまた増えた。すめらみくにに人傑多し。悦ばしきことである。
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