前回掲げた『へゝのゝもへじ』を読み込んで、幾つか気付いたことがある。
本書は初版本である。通弊として、誤字脱字がまあ多い。
そのいちいちに、前所有者は細かく訂正を入れている。
(誤字)
(脱字)
(逆植)
ここまでならば単に几帳面な性格だなというだけで納得可能であるのだが、問題なのは次に示すパターンだ。
アワレ検閲に引っ掛かり、××で伏字された部分をも、しっかり復元されている。
正直、息を呑まされた。
前後の文脈から適当に推し量ったと考えるには、書き方に迷いが無さすぎる。
著者本人か出版に携わった何者か――生原稿を拝める立場にあらずして、こんな補完ができるのか?
一番最初の所有者とは、もしかして――。
何かに追い立てられるが如く再び本書を検してみると、果たせるかな、見返し部分に糸屑のようなほんの些細な書き込みが。
「光春」と読める。
著者の名前も石川光春。偶然の符号ではないだろう。
――さてはこの、これ、著者みずからが筆を入れ、修正の後、誰かに贈った代物か。
直感的にその可能性が閃いた。
古物蒐集の面白味の第一は、何と言っても「掘り出し物」に触れることに如くはない。蓋し満悦の態である。今年の神田古本まつりは実に豊作、
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