第一次世界大戦は悲惨であった。
人類の歴史を一挙に二百五十年跳躍させる代償に、ドイツだけでも二百五十万人近い国民が、犠牲となって散華した。
その「若いもの」の死体から、まだ瑞々しい二個の
秘密裏に、ではない。
何も隠さず、大手をふるって堂々と、経過観察記録をつけて論文として整えて広く世間に発表している。なんでも性機能のめざましい回復、意気の亢進が確認できたとのことだ。
以って当時の生命倫理を推知する。
拒絶反応とかどうなってんだ、この被験者はいったい何年生きられた? ――とか、いろいろ気になる部分はあるが。
とまれかくまれこの報告が寄せられたとき、遥か極東、日の出ずる国・日本では、松村松年理学博士が蛙の性を転倒させる実験に、ちょうど取り組んでいた頃だった。
卵巣を除いたメスの蛙にオスの睾丸を植え付けて、オス化させようという試みである。この実験は、うまいこと期待通りの結果を呈した。うまくいった。
そこへドイツから、やはり睾丸をテーマに掲げた実験報告の到来である。
奇妙なシンクロといっていい。
如上の刺激が絡み合って松村は、大宇宙から啓蒙でも受けたのか、
「性の問題は未だ甚だ幼稚であるが、こゝに何かのショックによって、或は雌雄を転倒せしむるの時代が来るかも知れない」
と、ひどく意味深なことを書いている。
親はその欲する両性の何れかを自由に産下し、また人が女性に飽きて、男性に変性し、男性に飽きて又女性に還元するの時が来るとすれば、人間社会の今の制度も、法律も、道徳も何れもが破壊せられるやうになるかも知れない。そはともかく、この問題は、他日、必ずしも不可能ではないのである。(昭和三年『驚異と神秘の生物界』)
(啓蒙が高まる光景)
これは味わうべきである。
なんとなれば、折に触れては世に
男だ女だで揉めるのならば、いっそ性別という概念自体、境界線をぶっ壊し、滔々たる混沌を溢れ出させてしまえばよろしい。
我ながらこれが暴論と、「森に潜んだ敵ゲリラを掃討するため、ナパームの雨で森そのものを焦土に変える」式のたわけた議論と承知してはいるのだが、しかし変革とは本来そういうものではなかろうか?
まあ、よしんば気軽に性別を取り替えられるに至ったところで、それはそれでまた新たな偏見を生み出すことは必定だろうが。「誕生以来、一度も性別をいじったことのない、いじろうともせぬ保守主義者」とか、「更に劈頭一歩を進めて人類を完全な両性生物に改造せんと目論む手合い」とか、
(希望に満ちた未来都市)
性別変換装置製造工場を焼き討ちしたり、両性化しないと全身から血を噴いて悶死するウィルスをバラ撒いたりするのであろう。
世に闘争の種は尽きまじ、人が人である限り。狂い火野郎の高笑いが聴こえてきそうだ。
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