穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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歳末雑話 ―追いつけ、追い越せ、進み続けよ、どこまでも―


 ふと気になった。日本国の風景に自動販売が溶け込んだのは、いったい何時頃からだろう?


 楚人冠の紀行文を捲っていたら、

 


…チョコレートの自動販売機があるので、これへ十銭ほふりこんだが、器械が故障で、チョコレートは出ない。

 


 こういうくだりが見つかったのだ。


 昭和十一年七月、盛岡駅待合室の描写であった。

 

 

Morioka Station 20220525b

Wikipediaより、盛岡駅

 


 注目すべきは、自販機そのものを珍しがって記したのではない点だ。


 それが故障中であり、せっかく投じた十銭硬貨が無為に帰したのであればこそ、楚人冠は筆を動かしたのだろう。金を入れれば商品を吐き出す、その種の機械は彼の認識下に於いて極ありふれたものであり、みちのくの国・盛岡駅に存在したなら帝都東京市内にはそれこそごまん・・・と在ったろう。


 ただ、取り扱う商品は現代社会とだいぶ異なり、菓子なり切手なりが主流であったかと思われる。容器も冷却システムも、飲料を扱うにはまだまだ未熟であるからだ。

 

 

Automatic Stamp and Postcard Vending Machine

Wikipediaより、自働郵便切手葉書売下機。明治三十七年作成)

 


 もっとも米国は例外らしいが。昭和十六年、田中耕太郎著『ラテン・アメリカ紀行』の中に、

 


 ホテル・ニューヨーカーに宿泊。(中略)朝食はホテルより程遠からぬカフェテリアに行く。五銭白銅貨を入れてハンドルを回転すれば、水口よりコーヒーや蜜柑水が流出したり、又はロックが開き、バターとパンが得られることは以前からのことで別に珍しくはないが、飲食物の種類が多く、図書館のカード箱のやうに並んでゐることには一驚を喫せざるを得ない。コーヒーの如きも好みに従って牛乳が混合して出て来るのである。

 


 既にこういう報告がある。毎度ながら米帝様は、文明に於いて他国を懸絶、引き離していらっしゃる。


 なればこその超大国か。パックスを統べる奴らというのは、これだから。

 

 

 


 なお、ここまでの流れとはぜんぜん関係ないのだが。マイナスイオンに関する期待――迷信と換言していいそれ・・も、実は戦前から存在している。


 昭和十七年出版の『海洋医学より掘り出した。著者の名前は伊藤行男、イオンというのがどういうものか、大まかな概要を述べたあと、

 


陽イオンは人体に対して刺戟的効果をもち、陰イオンは鎮静的効果をもってゐるといはれてゐる。
 海及び海岸では、波浪の高い時は陽イオンが生成され、波が静かで晴天の時などは、陰イオンが多く発生される。

 


 こんな具合に展開されてゆくわけだ。


 戦前社会も現代社会とそれほど遠くはないかもしれない。


 今も昔も似たり寄ったりなエセ科学が蔓延し、永生への期待を籠めて、多くがそれに手を伸ばす。


 なんとまばゆい慾の坩堝であることか。

 

 

弁天島海水浴場)

 


 万金を積んでも購うべきは健康である。「快楽とは物事を別な角度から眺めることだ。快楽とは、次第に老いぼれていく、用心深く、口やかましく、いつもびくびくしている肉体の束縛から、ほんの少しのあいだ解放されることだ」。心の底では誰も彼も、老いも病もない国へ飛び立ちたくてたまらないのだ。


 ああそうだ、いつか、きっといつの日か、人類はダイアスパーを建設するべきなのだ。あれはまったく、素晴らしい未来都市だった。文明の進歩はその窮極で、霊魂の領域――輪廻の制御権すら握る。アーサー・C・クラークの発想を、ただの空想で終わらせていいはずがない。追いつけ・追い越せのフレーズは、何度だって掘り起こされて構わない。

 

 

 希望を持とうではないか。荘厳な努力にもかかわらず、この世の苦患くげんを根絶するには至っていない人類に対してではない。人間がけだもの・・・・から出て来たように、いつの日にか人間から出て来るであろうところの、今ではまだ想像も及ばないあの生きものたちに希望を託そうではないか。

 


 歳末の空気がアナトール・フランス箴言を、より冴え冴えとしたものにする。

 

 文字に耽るに、冬はまったくいい時期だ。

 

 

 

 

 


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