ふと気になった。日本国の風景に自動販売機が溶け込んだのは、いったい何時頃からだろう?
楚人冠の紀行文を捲っていたら、
…チョコレートの自動販売機があるので、これへ十銭
こういう
昭和十一年七月、盛岡駅待合室の描写であった。
注目すべきは、自販機そのものを珍しがって記したのではない点だ。
それが故障中であり、せっかく投じた十銭硬貨が無為に帰したのであればこそ、楚人冠は筆を動かしたのだろう。金を入れれば商品を吐き出す、その種の機械は彼の認識下に於いて極ありふれたものであり、みちのくの国・盛岡駅に存在したなら帝都東京市内にはそれこそ
ただ、取り扱う商品は現代社会とだいぶ異なり、菓子なり切手なりが主流であったかと思われる。容器も冷却システムも、飲料を扱うにはまだまだ未熟であるからだ。
(Wikipediaより、自働郵便切手葉書売下機。明治三十七年作成)
もっとも米国は例外らしいが。昭和十六年、田中耕太郎著『ラテン・アメリカ紀行』の中に、
ホテル・ニューヨーカーに宿泊。(中略)朝食はホテルより程遠からぬカフェテリアに行く。五銭白銅貨を入れてハンドルを回転すれば、水口よりコーヒーや蜜柑水が流出したり、又はロックが開き、バターとパンが得られることは以前からのことで別に珍しくはないが、飲食物の種類が多く、図書館のカード箱のやうに並んでゐることには一驚を喫せざるを得ない。コーヒーの如きも好みに従って牛乳が混合して出て来るのである。
既にこういう報告がある。毎度ながら米帝様は、文明に於いて他国を懸絶、引き離していらっしゃる。
なればこその超大国か。パックスを統べる奴らというのは、これだから。
なお、ここまでの流れとはぜんぜん関係ないのだが。マイナスイオンに関する期待――迷信と換言していい
昭和十七年出版の『海洋医学』より掘り出した。著者の名前は伊藤行男、イオンというのがどういうものか、大まかな概要を述べたあと、
…陽イオンは人体に対して刺戟的効果をもち、陰イオンは鎮静的効果をもってゐるといはれてゐる。
海及び海岸では、波浪の高い時は陽イオンが生成され、波が静かで晴天の時などは、陰イオンが多く発生される。
こんな具合に展開されてゆくわけだ。
戦前社会も現代社会とそれほど遠くはないかもしれない。
今も昔も似たり寄ったりなエセ科学が蔓延し、永生への期待を籠めて、多くがそれに手を伸ばす。
なんとまばゆい慾の坩堝であることか。
(弁天島海水浴場)
万金を積んでも購うべきは健康である。「快楽とは物事を別な角度から眺めることだ。快楽とは、次第に老いぼれていく、用心深く、口やかましく、いつもびくびくしている肉体の束縛から、ほんの少しのあいだ解放されることだ」。心の底では誰も彼も、老いも病もない国へ飛び立ちたくてたまらないのだ。
ああそうだ、いつか、きっといつの日か、人類はダイアスパーを建設するべきなのだ。あれはまったく、素晴らしい未来都市だった。文明の進歩はその窮極で、霊魂の領域――輪廻の制御権すら握る。アーサー・C・クラークの発想を、ただの空想で終わらせていいはずがない。追いつけ・追い越せのフレーズは、何度だって掘り起こされて構わない。
希望を持とうではないか。荘厳な努力にもかかわらず、この世の
歳末の空気がアナトール・フランスの箴言を、より冴え冴えとしたものにする。
文字に耽るに、冬はまったくいい時期だ。
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