古い『読売新聞』にラブホテルの雛形めいたモノを見付けた。
昭和六年三月十二日である、記事が紙面に載ったのは――。
「最近『円宿ホテル』といふのが多数現はれ安っぽいコンクリートまがひのアパートにベッドを置いて、ホテル営業を表看板とし待合ともカフェーともつかぬつれ込み客専門の宿をして盛んにエロ時代を謳歌してゐるものがあるので警視庁保安部風紀係では取締の必要を認め、管下各署からの調査意見書を二十日迄に集めることになりこの旨十一日通牒した」
(Wikipediaより、読売新聞ホーロー看板)
嘗てフェミニズムの権威、スウェーデンの誇る思想家、エレン・ケイ女史はいみじくも言った、「性の問題は生命の問題である。又社会の幸福の問題である。これに比してはあらゆる他の問題も殆ど意味をなさない位価値に乏しい」のであると。
学者が自己の専門分野を誇るのは本能的な
上田保も大ベストセラー、『趣味の法律』のさ中にて、聖書の言葉――「産めよ、増えよ、地に満ちよ」――を引用し、
「それはその初め天地創造の朝、神が人間に向って仰せられた言葉であった。人間は神から言ひ付かった色々な難しい外の命令は決して守らうとは
と、小気味よく茶にしていたものだ。
(『ハチワンダイバー』より、谷生サンのありがたいお言葉)
ならばしかして「円宿」という発明あるいは工夫にも、一定の価値は宿るのだろう。
少なくともエログロナンセンスの時代精神に呼応する、暗く微笑む退廃趣味者、当時の大衆諸君にとっては実にありがたいものだった。
一度生まれたものは、そう簡単には死なない。
当局が如何に規制しようと、ボロい儲けがある限り、商人どもは法の編み目の抜け途を執念かけて見つけだす。無ければ無いで強引に綻ばせてでも突破する。
円宿もまた
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