穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

赤い国へ ―鶴見祐輔、ソヴィエトに立つ―


 革命直後のペテルブルグでとみに流行った「遊び」がある。


 凍結したネヴァ河の上で行う「遊び」だ。


 それはまず、氷を切って下の流れを露出させることから始まる。

 

 

(冬のネヴァ河)

 


 これだけ聞くとワカサギでも釣るみたいだが、しかし穴の規模はずっと大きく、また釣り竿も使わない。


 やがて「玩具」が運ばれてくる。「玩具」とはつまり、帝政時代の富豪や貴族、将校、僧侶――まあ要するに、ツァーリの下で甘い汁を吸いまくっていた連中だ。


 こいつらを穴の中に放り込み、溺死に至る一部始終――悲鳴を上げて苦しみ藻掻く有り様をにやにや笑って眺めるのが、つまりは「遊び」の正体だった。


 チェキストでもなんでもない、ただの民衆がこれをやるのだ。


 やって、享楽に耽るのだ。


 毎日のように。


 常軌を逸した光景であろう。


 しかしながら将軍の娘というだけで、十二歳の少女が処刑場に牽き出され、弾丸のシャワーを浴びせられるのも茶飯事だったかの時代。裏通りをちょっと覗けば、肩の肉に直接徽章を縫い付けられた士官の死体がゴロゴロしていたかの時代。正気と狂気の境界は極めて曖昧模糊であり、誰も彼もが気付かぬうちに越えてはいけない一線を背後にしている状態であり、つまるところは何が起きてもおかしくはない「場」であった――成立直後の赤色ロシア、ソヴィエト連邦という国は。

 

 

クレムリン

 


 うろおぼえだが、ダークナイト ライジング』の終盤にも似たような展開があったと思う。死刑判決を宣告された人々が、凍結した河の上を――人間一個の体重を支え切るには、頼りなさすぎる程度の氷を――対岸まで渡らされる展開が。


 占領期の米兵も、よく行きずりの日本人を橋から河に投げ落としては殺したし、向こう西洋にはそういう文化でもあるのだろうか? つまりは河を処刑器具に擬したがる、といったような。

 

 まあ、それはいい。


 自由主義者で人情家、新渡戸稲造の忠実な弟子、くだんの鶴見祐輔の発した言に、以下の如きものがある。

 

 

 征服者と被征服者との生活の相違、それは劫初以来人類の繰り返してきた歴史だ。さうして征服者が栄華に慣れて心身ともに退化してゆくと、今度は今までの被征服者に征服されてゆく。ただ被征服者はあまりに永い忍従刻苦の生活のために、明るい日を見ることのできないやうな眼になってゐることがある。さうすると、その被征服者の反逆は、より善き社会を作らずして、より暗黒なる社会を作る。

 


 いみじくもロシア人たちは、この発言の正当性を保証した形になるのであろう。

 

 

 


 あるいは鶴見祐輔自身、少なからずそれ・・を意識したやもしれぬ。


 なんとなれば如上の言が示されたのは、モスクワ探訪後の彼によってであるからだ。


 時あたかも昭和七年、西暦にして一九三二年。鶴見はソ連に入国している。空路によって、首都近郊に降りたのだ。


 革命からしばらく経って一応の安定に到達したモスクワは、

 


 旅人は、この町の中に入った瞬間から、ある強い圧力を総身に意識する。自分は誰かに凝視されてゐる、といふ感じが、絶えず重苦しく頭の上を抑へてゐる。全身を縛ってゐる。心を警戒してゐる。強い政府の下に来てゐるといふ感じが、犇々と迫ってくる。旅人ですらさうなのだ。町の人の夜昼受けてゐる圧力は、どんなに重苦しいものだらう。
 その圧力は、投獄と死刑とシベリアへの流罪の外に、餓死といふことだ。食券をもって日々の生命を支へてゐる人々は、いつも餓死線上に立ってゐる。一歩誤れば、劇しい餓との闘ひだ。大勢の人が行列してパン屋の前へ立ってゐる。

 


 斯くの如き印象を、鶴見の心に与えたそうな。

 

 

赤の広場

 


 要約すれば「陰惨」である。世人が「ソ連」の二文字から連想する内容と、そう距離を隔てたものでない。


 折しもこの一九三二年は、ウクライナにて空前の、悪夢の如き大飢饉――ホロドモールの幕が開いた年だった。

 

 

 

 

 


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