一九三九年九月一日、ドイツ、ポーランドに侵攻開始。
「二十年の停戦」はここに破れた。第二次世界大戦の開幕である。フェルディナン・フォッシュが嘗て危惧したそのままに、世界は再び一心不乱の大戦争へどうしようもなく突入してゆく。
ドイツの動きは早かった。なんといってもルビコンを渡るより以前、八月二十八日の段階で、もう食糧と一部生活必需品とが切符制度に移行している。前日、二十七日付けで公布された「生活必需品確保の暫定令」及び「農産物管理令」の効果であった。
切り替えにあたってナチ党は、これをスムーズに運ばせるため、当時の食糧農業大臣リヒャルト・ダレをラジオ放送に当たらせて、国民一般に「政府の声」を響かせている。みごとな念の入りようだった。マイクの前で、ダレは次の如く語ったという。
「食料品の切符による公正な配給を、既に生産が著しく減少し、癒すべからざる幾多の病弊が現れだしてから実施することが、根本的に
(Wikipediaより、リヒャルト・ダレ)
「実験済み」とは、むろん第一次世界大戦の惨憺たる経験を指しているに違いない。爪のない赤ン坊が誕生し、動物園の獣にまで手をつける、あの窮乏のドン底がよほど骨身にこたえたようだ。過去から学んだ成果というわけである。
ばかりではない。
闇市発生の防遏策も、やはりこの二十八日に施されたものだった。すなわちヒトラーユーゲント、
統制品目の在庫量を調べ上げ、帳簿を作成、店主の署名を要求し、しかも今後「月別調査を行う」と宣言、そのときお前の手元の切符の数の合計と、倉庫の中身にもし不一致が認められたら、おい、どうなるか分かっているよなこの野郎、と睨みを利かせた。
商人たちはふるえあがった。当然である。誰も彼らを臆病とは責められまい。
(Wikipediaより、親衛隊の黒色制服)
――ざっとこんな塩梅で。
下準備にも下準備を重ねた後に、ドイツは九月一日を迎えたわけだ。
「食糧は総力戦に於ける一個の武器であり、大砲・飛行機・戦車等と同じく重要である」
この発言は、しかしヒトラーによるものでない。
合衆国大統領、フランクリン・ルーズベルトの口唇から発射されたものである。一九四三年一月十二日の演説だった。
演説は更にこう続く。
「我々の敵国も戦時に於ける食糧の使命を自覚し、戦力増強のため食糧の増産に努力しているが、アメリカの農村で生産された食糧は、世界各地の連合国を援助しつつあるのである。ゆえにアメリカ農民の任務は一層重大であり、その障害困難も一層大である。全国農民は今年中に於いて、一オンスでも多くの食糧を生産すべく努力して欲しい」
(アメリカの農家)
ヒトラーはルーズベルトを文字通り死ぬほど憎んだが。少なくとも総力戦局面下での食糧の価値判断に関しては、両者の意見は一致したに違いない。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓