日本で初めてゾウの解剖をやったのは、帝大農科大学教授、田中宏こそである。
明治二十六年の幕が開いて早々だった。新年いきなり、上野動物園に於いてはその「花形」を失った。寄生虫症の悪化によって、ゾウが一頭、死んだのである。石油缶に湯を注ぎ、藁を被せて湯たんぽ代わりにしてやったりもしたのだが、今やすべては無為だった。
(上野公園前)
動物園では悲しみつつも、
「せめて学術参考に」
と、愛獣の死を最大限活かすべく、解剖の手筈を整える。
なにぶん日本で最初の試みであるということで、見学希望は引きも切らずであったとか。
そして、当日。
衆人環視の只中で、田中宏は汗みどろになっていた。
たいへんな悪戦苦闘だったのだ。
(よもや、これほど――)
ゾウの皮膚は厚い。
当たりどころ次第だが、散弾程度の威力なら、肉に喰い込ませもせずに弾いてしまうこともある。
厚くて堅いその皮膚に、用意してきた刃物では、文字通りまるで歯が立たず。――至急ノコギリを調達するなど、円滑とは程遠い、名状し難きすったもんだを伴いながらの作業であったということだ。
現にその場に居合わせた、黒川義太郎園長による回顧だから疑いはない。
で、サンザ苦労し摘出した
忌々しき雑食性よ。
ネズミというのはこれだから――。
(Wikipediaより、ドブネズミ)
とまれ、それはさておき、だ。
黒川の説明に則れば、上野動物園で飼育している動物のうち、だいたい百五十匹前後が年ごとに死んで逝くと云う。
業といっていい。生きものを飼っている以上、避けようのない結末である。
しかしとりわけ強烈だった「死に様」は、やはり大正十二年、九月一日の大震災に於いてこそ突発した諸相であった。
黒川義太郎は物語る、
「…あの震災で池の大鯉百匹が白腹を見せて浮き上り、それから二三日経ってカンガルーが三頭ばたばた斃れて仕舞ひました、よく調べて見ますと地震に余程驚いたと見えて柵の中を駈け廻り夢中になって柵に頭をぶっ附けて脳を毀したのが死の原因です」
この悲劇を受け、動物園では以後というもの、動物に与える飼料について、特にカルシウムの量に気を遣うようになったとか。
(Wikipediaより、カンガルーの喧嘩)
同じ過ちは繰り返さない、失敗からは学ばねば。
賢い姿勢であったろう。
さてこそ万物の霊長だった。
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