穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

続・ドイツの地金 ―何度でも―

 

 ナチ党による独裁が確立して以後のこと。


 ドイツ国内に張り巡らされた鉄道網。その上を走る汽車のひとつに、日本人の姿があった。


 べつに政府関係者でも、大企業の重役でもない。ただの単なる旅行客、それも気ままな一人旅である。


 彼の傍には地元民らしき少年ふたりが腰かけて、如何にも元気に、溌溂と、黄色い声でおしゃべりに興じ合っていた。

 

 

 


(微笑ましき情景よ)


 どうやらこの邦人は子供の声にいちいち神経を尖らせずにはいられない、狭量短気な因業野郎でなかったらしい。和やかな気分で見守っていると、そのうち小腹が空きでもしたのか、少年たちは鞄を開けて、中からバナナを取り出した。


 皮を剥き、如何にも美味そうに咀嚼する。甘やかな香りが、彼の鼻にも多少届いた。


 さて、ここからが彼の感心したところだが。――可食部分を平らげきると、残った皮を、少年たちはくるくる丸め、そのままポケットに収めたのである。


(ほう)


 このころ、日本人の乗車マナーは未発達もいいところ。


 弁当箱だの包装紙だの空き瓶だのと、移動中に出たゴミはそのまま車内に捨ててゆくのが当たり前、せめて人目につかぬよう、座席の下なりなんなりに押し込み隠せばまず上出来と評された。


 どんなに口を酸っぱくしても改まらない。下村海南の書くところでは、毎日毎日、東京駅に着く列車内から、大八車十五・六台ぶんのゴミが運び出されていたそうな。


 とにかくそういう祖国の景色に慣れ親しんでいただけに、ドイツっ子どもが示した態度、躾の行き届いた行儀のよさに、彼は感動したらしい。日本も早くこの水準に達さねば、と内心深く頷いた。

 

 

 


 ところが、である。意外なことが起こった。電車が市街を通過して、田園地帯を走りはじめた頃合いだ。視界が開けてくるや否や、子供たちはいそいそと手近な窓を持ち上げて、先程しまったバナナの皮をひっつかみ、力いっぱい放り投げてのけたのである。


(なんということだ)


 感動しただけに、落胆も大きい。


 勝手ながら、裏切られたような気にさえなった。


 その苦々しい感情が、この旅行者を動かした。無体なことをするもんじゃないと、半分なじる・・・ような口調で注意を与えたのである。


 すると少年たちは視線に憐れみさえ籠めて、


「おじさん、バナナの皮はいい肥料になるんだよ」


 だから態々畑を狙って投げたんだ、農家の人にもちゃんと話は通してる、むしろありがたがられているぜ、と。


 反対にやり込められる形になった。なるほど確かにバナナの皮には野菜の成長に不可欠な栄養素が満ちている。

 

 

 


 が、そんなことより私は一連の挿話から、江戸時代の街道風景を幻視する。


 旅人・雲助・飛脚等々――。


 街道を行き交う膨大な人波。彼らが履き潰す草鞋の数も、比例して夥しい数になる。


 道端に投げ捨てられたそれを拾って、集積して発酵させて肥料にするのが、当時の少年少女らの重要な役目のひとつであった。


 草鞋とは、字義が示すそのままに百パーセント天然由来、藁を綯った靴である。現代でも稲わらは堆肥の原料として結構役立てられている。ましてや人の体重にさんざん踏まれ、汗やらなにやら吸い込みまくり、疲弊しきった繊維なら、特に面倒な処理をせずとも容易にコヤシとなるだろう。


 江戸時代のリサイクル性を語る上での大事な要素、それをドイツに垣間見た。

 

 

Home Made Shoes in Japan (1914-09 by Elstner Hilton)

Wikipediaより、大正時代の藁草履作り)

 


 まあ、なんにせよ。ヴェルサイユ条約締結直後、

 


 貧窮は道徳を破壊せしめる。戦前まで商業道徳を重んじたドイツ商店も、嘘言を吐くことは平気になり、贋物をつかませることは普通になった。殊に連合国民を欺した時には、不正の利を喜ぶのみならず、一種の復讐的快感さへ覚えるやうになったのである。
 さもしい心は嵩じて盗みとなる。子供は子供で部屋の小さい物を盗む。ホテルで鍵を下してあるのに外套を盗まれる。郵便局でも公衆用のペンを盗む者が多いので、インキだけしか備附けてない。ペンを持たない者は、一マルクを預けて借りると云ふ状態である。(中略)戦前と比較して実に隔世の感が深い。又一般に他人の苦痛を見て喜ぶと云ふ風がある。道を尋ねる外国人に違った方向を故意に教へると云ふやうな事柄も稀ではない。(『大改造期の世界 坤』)

 


 山科礼蔵が目撃したこのどん底から、十年ちょっとでよくぞここまで持ち直したものである。

 

 

ヒンデンブルク大統領の宣誓式)

 


 ドイツの地金は、やはり確かだ。

 

 

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