穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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開港前夜 ―二千両の目隠しを―


「黒船きたる」


 その一報が、箱館を恐慌の坩堝に変えてしまった。


 安政元年のことである。


 この年の春、三月三日。神奈川の地で日米和親条約が締結された。

 

 

Yokohama kaigan church04s3200

Wikipediaより、日米和親条約調印地)

 


 全十二条に及ぶ内容のうち、第二条目にさっそく開港地の設定がある。下田は即日、そして箱館は一年後、米国に対し港を開く、と。以後、星条旗を掲げる船はこの二港にて、薪水・石炭・食糧その他必要物資の供給を受けることが可能になると。


 調印式が終わるなり、マシュー・ペリーはこういうことを言い出した。「条約の円滑な履行を期すべく、下田と箱館、この両港を実地調査せねばならない」


 なるほど筋は通っている。


 幕府としては、頷くより他にない。


 江戸の松前藩邸に、直ちに報せが駈け込んだ。その藩邸から更にまた、国元めがけて急使が走る。


 藩の家老格、松前勘解由崇效たかのりが属僚どもを引き連れて箱館へと出張したのは、条約締結から半月以上を経過した、三月二十二日であった。

 

 

松前勘解由と従者像

Wikipediaより、松前勘解由と従者像)

 


 如何にも時代的な情報伝達速度であろう。


 出張先で崇效は、ずいぶんせわしなく働いたらしい。


 とにかくアメリカ人という、この厄介極まりない客が住民と接触しないよう――どう考えても面倒事のタネになる――、

 

 街々の境に木戸を設け、

 小路という小路には囲いを築き、

 二十余丁もの板塀を、浜手海岸に巡らした。


 大掛かりな目隠しと言えなくもない、一連の作業に要した費用が、大枚ざっと二千両。

 

 少なからぬ出費であった。


 なお、この数字は函館市中央図書館初代館長・岡田健蔵の調査に基く。

 

 

(岡田健蔵)

 


 史料収集・整理・保護に敏であり、山積する文字の中から松前藩の抜け荷(密貿易)記録まで洗い出した仁である。


 一定の信頼は置いていい。


 お触れの類も、次から次へと乱発された。


 どういうことが書かれていたか、これまた岡田健蔵の収集したところによると、

 


 アメリカ人は欲心が深く生れ付き気短かであるから、逆ってはならぬとか、殊の外婦人に目を掛けるとか、子供は可愛がるが若しや連れて行かれては不都合であるから、女子供は土蔵に囲まふとか、或は山の手近郷近在の縁家へ避難させよとか、酒は大の好物故に目に掛らぬ様にせよとか、牛、呉服、小間物等は隠せとか云ふ事等でした。(『北海道郷土史研究』280頁)

 


 ほとんど奈落の軍勢でも待ち受けるような騒ぎであった。


 実際、当時の人々にしてみれば、そんな気分だったろう。


 日が経つにつれ、御触書の内容はどんどん具体性を増してゆく。


 港は小舟の往来を禁じ、
 陸は馬の出入りを差し止め、
 戸や障子、特に海に面している部分には厳重な目張りを施させ、
 薬師山への参詣禁止、例え不幸があったとしても男手だけで夜陰密かに野辺送りせよと、そういう指示まで飛んでいる。

 

 

Mount Hakodate

Wikipediaより、函館山

 


 どんな朴念仁であろうとも、なにか異常な、のっぴきならぬ重大事が進行中であるのだと、おのずと察しがついたろう。


 異常な緊張状態が市内全域を包んでいたに相違ない。


 そこへ黒船がやって来た。


 四月十五日巳の刻――だいたい午前十時ごろ。汐首岬に配置された人員が、彼方に船影を確認している。


 間を置かずして、市中の鐘という鐘が力いっぱい打ち鳴らされた。


 ぐわおーん、ぐわうおーん、と。


 底響きするあの音は、たとえ平時であろうとも人の臓腑をふるわせる、一種玄妙な作用を有す。況やガラス管並みに張り詰めきった精神の上に於いてをや。


 ひとたまりもなく砕け散るのが道理であろう。

 


 市内は急に騒々しくなり、近郷近在に引越すものやら戸締をするもの、役人は役場に詰切りで非常を警め、若しや見物などする不心得のものがあってはならぬと云ふので、辻権九郎と申す役人が早馬に乗って市内を縦横に駈け廻り、迂散と認めたものは片端から鞭で打据えたと云ふ事で、殆んど狂気の沙汰とも申すべきでありました。(281頁)

 

 

(函館図書館)

 


 まさしく尻に火をつけられたかのような。


 時代の潮目は、スンナリとは越えられぬ。必ずこういう、阿鼻叫喚を伴ったすったもんだが展開される。


 それをこうして、泰平の世で、座布団に安穏と腰かけて、紙面を通じて垣間見る。なんという背徳感であるだろう。


 歴史趣味とは、もしかすると余程の悪趣味なのかもしれない。

 

 

 

 

 


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