「狼一匹を駆除するごとに、三円の報奨金を約束する」――。
そんな布告を北海道開拓使が出したのは、明治十年のことだった。
この当時、一円の価値は極めて重い。小学校の教員の初任給が九円前後の頃である。たった三匹仕留めるだけで、公務員様の御給金に届いてしまう。まずまず破格といっていい。
ところが「お上」の気前のよさは、未だ序の口に過ぎなかった。翌十一年、開拓使は報奨金を吊り上げて、なんと狼一匹ごとにつき、現金七円をくれてやると宣言している。
現代貨幣価値に換算して、およそ十四万円だ。
独り身で、質素倹約を心がければ、一ヶ月は喰いつなげよう。
あの害獣をぶち殺し、証拠として四肢を切り取り差し出せば、それだけのカネがたちまち懐に転がり込んでくるのである。
(北海道をうろつく狼)
なんと美味い話であろう。猟師たちにしてみれば、腕によりをかけるべき千載一遇の好機会。鉄砲の音が轟然と、試される大地の森や谷に木霊した。
明治十五年、報奨金はついに十円の大台に達する。
一連の大盤振る舞いは、裏を返せば開拓初期の狼害が、どれほど甚だしかったか如実に示すものだろう。
新冠牧場の惨劇なぞは、特に際立った一例である。
開設当初、ここでは南部馬の良種と北海道の在来種とを掛け合わせ、より強靭な種を創ろうと計画し、実現に向け努力していた。
幸い進捗は悪しからず、将来有望な仔馬らが次々産まれることになる。
ところがここに不幸が襲う。言うまでもない、狼である。情け容赦なく喰い散らされた。その情景を、動物学者の犬飼哲夫――屯田兵のアルコール漬けを所有していた、かの八田三郎の生徒のひとり――は以下の如く物語る。
ある時九十頭の牝馬とその仔馬を放牧しておきました所十日後に狩り集めたら仔馬は一頭も居らなくなり、その内に親の九十頭も遂に悉く殺されあちらこちらに骨や肉が散乱して見るも慄くばかりの有様になりました。馬の居ることを知って遠近の狼が新冠に集まったのであります。(昭和七年『北海道郷土史研究』48~49頁)
想像するだに凄愴酸鼻な光景だ。
今日までの営為を雲散霧消させられて、職員の落胆、推して知るべし。経済的な損失の方も馬鹿にならない。
彼らは決断を迫られた。すなわち「狼を悉く絶やすか」「牧場経営を放棄するか」、選べる道は二つに一つ。
むろん、彼らは前者を採った。北海道の開拓史は、一面絶え間ない自然力との争闘である。退くわけにはいかない。一度戦端を開いた以上、前進し、撃滅し、征服し、支配してこそ明日がある。
以下、具体的な手法について、再び犬飼博士の言葉を借りると、
早速東京と横浜にある毒薬のストリキニーネを買い集め又直ちに
(犬飼哲夫)
犠牲を伴わぬ繁栄なぞこの世に一つも存在しない。
人間社会は、文明は、常に夥しい流血の上に成り立っている。
そういう意味で、新冠牧場は格好の縮図であったろう。
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