穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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鶴見と笠間 ―一高生たち―

 

 言葉は霊だ・・・・・鶴見祐輔は喝破した。


 外国語の修得は、


 単語を暗記し、


 文法を飲み込み、


 発音をわきまえ、


 言語野に回路を作れても、


 それだけではまだ不十分。


 いや、学校のテストで合格点を取ることだけが目的ならば、それで十分「足る」だろう。

 

 

 

 

 しかしもし、実生活や仕事の上で異なる言語の使い手と、相当深いところまで立ち入った話をするのなら。互いの心臓を預け合う、極めて強固な信頼関係を結びたいなら。技術一辺倒では駄目だ、どうしても吐き出す言葉の中に、魂を宿らせる必要がある。


 それには何より、その外国語で記された古典をたん・・と読むことだ。日本語の場合に置き換えればすぐわかる。およそこんにちの社会に於いて「雄弁家」の聞こえも高い人々は、皆すべからく国文と漢文の古典の教養、洗練された持ち主だ。なればこそ彼らの一言一句は、よく万民を感激させる。……

 

 

(これにはスカルフェイスもニッコリ)

 


「外国語でその外国人を敬服せしめる人は、矢張り新渡戸博士のやうに、古典を充分読みこなした人でなくてはいけない」。スカルフェイスも卓見と褒め称えるだろう。そして一九三〇年代、この条件を達成している外交官、「日本の顔」の名乗りに適った実を備えし資格者として、鶴見は三人の男を挙げている。その三人が、


 長井亜歴山と、


 斎藤博と、


 笠間杲雄に他ならなかった。


 そう、笠間杲雄。


 アントニオ・デ・オリヴェイラ・サラザール「ポルトガルの独裁者」ポートワインの記事を作成する上で、さんざっぱら引用させていただいた、ポルトガル公使の彼である。

 

 

(中央、メガネの男性が笠間杲雄)

 


 迂闊にもつい最近まで知らなかったが、笠間と鶴見は公的にも個人的にも、かなり親しい仲らしい。


 出身校が同じだそうだ。共に第一高等学校をえた身である。そのあたりの機微につき、鶴見祐輔の筆を借りると、

 


 英国を発って私はもう一度フランスに渡った。それは友人の笠間杲雄君が、ペルシャ公使からポルトガル公使に転任しての途上、パリを通過する折、私も出向いて会はうといふ約束があったからだ。
 同君は一高以来の友人だ。何をしても優れてゐる。外国語は七ヶ国出来るし、和歌に長じ、書に巧に、文も弁も達者だ。しかしゴルフだけは頗る下手だ。世界中で私が互角の勝負のできるのは彼一人だ。さう言ったら同君は非常に口惜くやしがったが、私の予想通り丁度同じ手腕うでであった。(昭和八年『欧米大陸遊記』766頁)

 


 ざっとこんなものである。


 笠間杲雄の人物像に、ますます血を通わせてくれる一文だった。

 

 

University of Tokyo - Komaba Campus - Building 1

Wikipediaより、旧一高本館)

 


 古書を通じて先傑たちの、こんな感じの「横」の繋がりに接触するのは、一種得難い滋味がある。それはきっと、

 


 高橋翁の話は実に面白い、のみならず、実にしんみりしたものだ。第一よくもアンナに昔の事が記憶されて居るものだと驚かされる。あの一身上の些事が殊に面白く読まれた。高橋翁の話に比べると、竹越氏の筆になる西園寺公の話は見劣りがする。前者は虚心で話されて居るに、後者は豪い人を伝へるといふやうに書かれて居るからでもあらうか。(中略)私共はむしろ西園寺公がどんな下らない事を、平素言ったり、行ったりして居るかを知りたく思ふ。

 


 戸川秋骨楽天地獄』で述べたところの「人物評の要諦」に、限りなく近い代物だからだ。


 下村海南の随筆中にはよく楚人冠が顔を出す。


 これも頗る面白い。

 

 

 

 

 


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