小麦に限らず、艀荷役はよく積荷を落っことす。
何処かの誰かが到着を今か今かと待ちわびている大事な品を、些細なミスからついつい海の藻屑に変える。
大正十一年度には、青函航路――青森駅と函館駅との間を結ぶ、片道ざっと113㎞のこれ一本をとってさえ、実に一千四百二十三件もの荷役事故が発生したということだ。
(函館港)
一千四百二十三件。
単純計算で、毎日最低三つの荷物を水没させていなければおっつかない数である。
北海道を本州に、もしくは本州を北海道に繋ぎとめている重要航路に、なんという無駄な損失だろう。
宿痾なりと諦めるには、
当時の人もそう思ったらしい。対策が打たれ、効果を発揮し、昭和三年にもなると、同種の事故は年十三件まで低下した。
斯くも覿面たる対策とは、すなわち貨車航送法の導入。
汽車から船へ、いちいち荷物を移すなど、そんなまだるっこしい真似はせず。
荷物を積んだ
(函館桟橋)
実現したのは大正十四年度以降。
その結果として前述の通り、確かに事故は激減を見た。
が、それと同時に青森市では、およそ千人の失業者が発生する次第となった。
駅員、水夫、請負人夫、――そういう仕事に従事していた人々である。
ほぼ同様の現象が、函館市にも起きていた。
津軽海峡のあっちとこっちで、二千人が職にあぶれたわけである。
悲惨なことは悲惨だが、だからといって旧に復するわけにもいかぬ。
人間世界の原則だ。誰にとっても都合のいい話なんぞありえない。変革は苦痛と抱き合わせである。一方が得をするならば、必ずどこか別のところに損をしている奴がいる。一連の作用を如実に示す、これは好例といっていい。
むろん、利害関係の調整は必要だし、政治家の任のひとつであろう。が、どれほど剛腕をふるったところで調整はあくまで調整に過ぎず、原則自体は揺るがない。割を食う奴は必ず出る。「多かれ少なかれ」に持ち込むのが、人力の及ぶ限界か。
「世の中の事といふものは、どんな事でも、程度の差こそあれ、犠牲を払った結果でないものはない」、これは大隈重信の言葉。
畢竟、誰かに害を与えることを恐れていたら、何ひとつとして成せないままに人は死に、国家は衰亡してしまう。
そのあたりを認識していればこそ、
――貨車航送は一時に約二千人の犠牲者を街頭に放り出したのである。
――この悲惨なる事実こそは貨車航送の経費節約振りを実証する何よりの資料である。
『時事新報』は、例の松村金助は、これこそ産業合理化なりと殊更に開き直ってのけたのだろう。
津軽海峡の貨車航送は、昭和六十三年の青函トンネル開通まで。半世紀以上の長きに亘り、その命脈を保ち続けた。
新旧交代、世の移り変わり。こういう景色を目の当たりにする度に、
――未来は過去の瓦礫の上に築かれるものなんだ。そして人間の知恵とは、それにあらがおうとすることの中にじゃなく、その事実を直視することのなかにあるんだ。
アーサー・C・クラークの哲学が、私の脳裏を横切ってゆく。
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