穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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末期戦の一点景 ―餓鬼道に堕ちたヨーロッパ―


 戦争は次のステージに進んだ。


 畢竟、勝利の捷径ちかみちは、敵国民の心を折って戦意を阻喪せしむるに在り、その目標を達成するに「兵糧攻め」――慢性的な食糧不足を強いるのは、大規模な空襲と相並んで極めて有効な一法である。


 今日でこそありきたりな認識なれど。一九一九年の段階で、早くもこれに気が付きかけた山科礼蔵という人は、なるほど確かに慧眼だった。

 

 

長谷川哲也『ナポレオン ―獅子の時代―』より)

 


 彼は実業特使としての任を果たす傍らで、ドイツ、フランス、イギリスなどの欧州列強各国が大戦中に施した食糧政策を細かく調査。


 その結果、以下の如き知見を得た。


 まず、山科に言わせれば、「凡そ戦時に於ける食糧政策は、之れを四大別することが」可能とのこと。すなわち、

 


一、食糧増産に関する政策
二、食糧の国内取引及び価格に関する政策
三、食糧の輸出入に関する政策
四、食糧の消費節約に関する政策

 


 この四つに、だ。


 こう前置きしてからそれぞれの解説に及ぶわけだが。個人的に最も大きな興味を以って読めたのは、「一」の食糧増産につき述べ立てたる章だった。


 なんといっても大英帝国、あの格式を重んじること病的なまでの連中にしてから、戦争末期はテニスコートやゴルフ場――いわゆる「紳士の社交場」をぶっ潰してまで畑を作り、めしの確保に走ったという。

 

 

Centre Court roof

Wikipediaより、ウィンブルドン選手権

 


 仰天すべき実例が、次から次へと出てくるのである。


 目を皿にせずにはいられまい。


 とにかく人手が足りないことから、捕虜を農業に服さしめるのは何処の国でもした・・ようだ。常套手段といっていい。フランスではそれに加えて、召集された兵士中、農業の熟練者に関しては種蒔き休暇を与えたり、繁忙期にはなるたけ郷里に帰れるような仕組みを作ってやったとか。


 それでも穴を塞ぎきれない。


 であるが以上、残された道は一つであろう。「外国農業移民事務局を設け、ベルギー・スペイン・イタリアより出稼人を輸入し、アルジェリア及び仏領インドシナ等の植民地よりも労働者を移入して、農業労働に従事せしめ」たのである。


 こういうことをやらかすと戦後の混乱がひどいことになるのだが、とにかく「今」を凌がなければ戦後もなにもあったものではないと考えたのだろう。


 地雷で足を吹っ飛ばされた兵士に向かい、モルヒネは依存性があるから打つのはやめた方がいいぜ――なんて、そんな忠告、誰に出来るか。


 背に腹は代えられぬと云うやつだ。

 

 

アルジェリア、ビスクラ市のカフェ)

 


 ドイツはドイツで豚の大量屠殺を決行、目的は肉の確保というより、この四ツ脚どもが飼料とする穀物類を節約するにあったらしい。


 代用食も凄まじい数考案された。コーヒーだけでも五百十一種、ソーセージに至っては、八百三十七種ものレシピが存在したという。


 おそらく精査の行き届いてない、よくよく調べ上げたなら、ひとまとめにしても構わないのが相当以上に含まれていると推察するが。それにしたって驚異的な夥しさだ。


 このほかにも、

 


 ドイツに於ては、中央労働紹介所を設けて、農業労働に対する需給の円滑を図り、(中略)収穫を援助する者には鉄道の無賃乗車を許可した。更に学生をして農業労働を援助せしめ、俘虜を使役し、一九一六年十一月には戦時経済局を設置して、農業労働の補充・労役馬匹の配給並に機械及び作業用品の分配を司らしめたのである。(大正十二年『大改造期の世界 坤』166頁)

 


 対応に狂奔する当局者が目に浮かぶ。


 が、むなしかった。これほどの努力を払ったにも拘らず、大戦末期のドイツでは爪のない赤ン坊が誕生するなど、栄養失調の徴候が社会各所に散見された。

 

 

長谷川哲也『ナポレオン ―獅子の時代―』より)

 


 ベルリンでは配給切符の偽造事件が発覚し、地方は地方で農園に対する盗難被害が無視できない規模となり、憲兵どもが列車に乗り込み手荷物検査を強いるのがごく日常の風景として――まあ、要するに。行き着く果てまで行ってしまったわけである。


 動物園の獣どもを喰い尽くすのもむべなるかなだ。

 

 ちなみにアメリカ合衆国はひとたび宣戦を表明するや、


 ボルドーその他の根拠地に四ヶ月分、


 ツール附近の中間基地に一ヶ月半分、


 イス=シュル=ティーユ附近の前進基地に半ヶ月分、


 しめて六ヶ月分の食糧を出征軍のため先ず集積し、懸絶の国力を見せつけている。


 怪物としかいいようがない。

 

 

アメリカの小麦農家)

 


 そのむかし、第三代パーマストン子爵、ヘンリー・ジョン・テンプルは英国下院議会にて、


「英国は世界のいずれの国にも勝りて、その軍隊の健康と慰安とに注意する、従って一朝有事の際には、英陸軍は世界いずれの国にも勝りて、多大の軍兵を戦場に送り得る」


 と自信たっぷりに演説したが、欧州大戦経験後、この名誉は完全に、アメリカの手に帰していた。

 

 

 

 

 


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