一九一四年八月四日、イギリス、ドイツに宣戦布告。
それからおよそ二ヶ年を経た一九一六年十月時点で、小麦の値段は十三割増し、小麦粉の方も実に十割増しという、紳士たちが未だかつて経験したことのない、大暴騰が発生していた。
産業革命以来、海外の低廉な農作物に頼るばかりで自国農業をひたすら等閑に附し続けてきた伝統のツケを、こんな形で支払わされたわけである。
一九一七年二月二十三日、時の首相ロイド・ジョージが下院に於いて演説した内容は、そのあたりの消息を最も簡潔明瞭に取りまとめたものだった。
「穀物条例廃止以来二十年間に四百万エーカーの土地と五百万エーカーの開墾地とが草地に変った。農業人口の半分は、海外かあるいは都会へ移住した。わが国の如く直接にせよ間接にせよ、農業に対して単に努力を払わないどころか、ほとんど顧みもしないといってよい文明国は他に絶無なのである。わが国で消費される重要穀物の70%から88%までが年々輸入されて来たのであった。そして今日我々の保有する食糧は実に僅少である、不安なほど僅少である、記録にないほど僅少である。このことを、国民諸君に知っていただきたいと思うのである。それ故に国家の安全のために、本年末及び来年の生産を増加せんがために、あらゆる努力を、しかも即時実行することが絶対に必要なのである」
テニスコートやゴルフ場をぶっ潰してまで畑を作る、なりふり構わぬ増産への第一歩。末期戦の光景が、そろそろ顔を覗かせはじめたわけである。
(ロイド・ジョージ)
白パンは市場から姿を消して、ライ麦、大麦、燕麦、米、玉蜀黍、豆等々――いわゆる従来「雑穀」扱いされ続けてきた品目を混ぜ、かさ増しをした「戦時パン」が代わりに抬頭しはじめた。
ただでさえ不味い英国のめしが、輪をかけて不味くなったのである。
「俺たちにこんな真っ黒な、粗末なパンを喰わせておいて、金持ちどもは相も変わらず白いパンを喰っていやがる」と、お決まりの不平が労働者の間から出た。
雑穀類の混用率は最初五分であったのが、日を追うごとに引き上げられて、最終的には二割五分まで到達していた。
穀物由来の糊は生産を禁じられ、犬に与えるビスケットもまた同様の処置に見舞われる。
ロンドンの料理店という料理店には、「パン節約」の標語を掲げたポスターが張り出される運びとなった。
卸売業者の登録制、販売時間の制限制度、行列防止令たらいうある種時代の先取りめいたお達しまで――全く以って火の車を回しているも同然である。
で、その結果どうなったか。
一九一七年十一月十二日の船舶統制委員会に報告されたところによると、小麦の貯蔵は激減しつつあり、我々は手より口への生活を営んでいた。ロンドンにはあと僅かに二日の供給量しかない。従って、ロンドンは他の港より鉄道によって養われねばならない。ブリストルには、僅かに二週間分の供給量があるに過ぎない。小麦委員は北アメリカで二十万クォーターの小麦を購入したが、イギリスに運んでくる船舶がないのである。平時ならば積荷を陸揚げした後地中海を空船で帰る船舶があるのであるが。
(山科礼蔵撮影、英国の戦時配給切符)
総力戦時代の景色というのは、どこもかしこも似たり寄ったり、同じような地獄相を呈するものであるらしい。
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