穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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昭和のアルチュウ ―アルプス中毒患者ども―


 狂歌うたがある。

 

 

あの息子 なんの因果か 山へ行き

 


 昭和のはじめに編まれたらしい。


 まるで先を争うように若者どもが山に押し寄せ、次から次へと木の下闇に呑み込まれ、さんざん平地を騒がせたあと変わり果てた姿で発見みつかる。そういう事態が頻発していた時代があった。


 呆れかえるほど積み上げられた「前例」により、山中異界の容易ならなさ、恐ろしさは知れ渡っているはずなのに、それでも挑戦者の波が絶えない。あとからあとから、むしろ加速の趣きすらある。そんな狂騒のご時世が――。

 

 

 


 このあたりで今一度、

 


山は遭難がないと箔がつかないやうである。蔵王なども昭和七、八年頃から遭難がいくつも続いたので、忽ち有名になり、また冬山としての魅力ももつやうになって来たやうである。夏の休みには峨々が何百人といふ人であふれたりしたのも、遭難が人を招んだやうなものといへよう、刈田から賽の磧へ降りてくると、吹く風に揺らぎながら幾本もの塔婆が、クラストした雪原に淋しく立ってゐる。仙台二中生が遭難したときのものだ。あそこへ来ると、何となく体の引締まるのを覚える」

 


 中川善之助の発言を見返しておくべきだろう。


 言葉も出来た。


「アルチュウ」である。


 アルコール中毒の略ではない。


 アルプス中毒を縮めたものだ。


 何かに取り憑かれでもしたかのように山へ山へと突っ込みたがる、未踏ルートを開拓せんと反り立つ岩壁かべにへばりつく。傍から見れば命知らずもいいとこな、一種異様な情熱に生きる連中を、世間はダキツキマニアとかアルチュウとか呼びならわして、変人扱いしていたわけだ。

 

 中野克明――政治家・中野正剛の長男も、やはりそういうアルチュウ患者のひとりだったようである。

 

 

Nakano Seigo

Wikipediaより、中野正剛

 


 あり続けたというべきか。


 昭和六年、穂高で死んでいる。


 滑落だった。


 享年、ものの十七に過ぎない。


 報せを聞いて父親は、


「あいつも男だ。当然覚悟の上だろう」


 ひどく素っ気ない態度をとった。


 もっとも多分に、最初だけは、だ。


 いざ上野駅にて倅の亡骸と対面するや、正剛はもう、見かけ上の平静さすら保てなかった。


 みるみる涙をあふれさせ、全身で慟哭したという。

 

 

11 Maehotakadeke from Karasawdake 1999-5-23

Wikipediaより、前穂高岳

 


 なんとなくだが、三河武士を彷彿とする情景だった。詳細な名を掲げるならば安藤直次あの老臣も大坂夏ノ陣の最中に於いて嫡子の戦死を伝えられ、「侍ならば当然のこと」と凄んだ挙句、死体のそばを通った際に部下から収容を提案されても、


「犬にでも喰わせておけ」


 と怒鳴りつけたものだった。


 戦闘が終わってから、はじめて泣いた。


 いろいろ思い合わせてみると、このころはまだ、政界にも武士道気質がいくぶん遺っていたらしい。

 


 世には流されないでしまふ涙もある。笑ひに転ずる涙もある。人よ、涙はただ頬に流れるものと思ふか? 涙はまた内部に向って流れることを知らないか?


 よし涙は外に流れずとても、洞窟の天井から落ちる雫のやうに、心の中にしたたるならばそれで十分だ。

 


 ふと、生田春月の感性あやかりたい気に襲われた。

 

 

 


 新年の門出には沈鬱すぎる内容かもしれないが、――ああ、いや、なあに、厭世を趣味として弄ぶ私のような男には、むしろこれこそ相応か。

 

 どんな一年になるのやら、胸が高鳴って仕方ない。

 

 

 

 

 


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