穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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シュプリューゲンの雪崩決闘 ―岐阜の地震に思うこと―


 真っ白な瀑布が山襞を滑り落ちてゆく――。


 昨日13時13分岐阜県飛騨地方深さ10㎞を震源として発生した地震マグニチュード5.3のエネルギーは隣接する上高地の山体を揺さぶり、数ヶ所に渡って雪が崩れた。


 あの映像を見て、ひとつ思い出したことがある。


 溯ること114年、西暦1906年の春、スイスはシュプリューゲンの峠道で実行された、一つの奇妙な決闘だ。当事者の名前を、仮にジョナタとセストとしよう。彼らはシュプリューゲンの地元民にあらずして、45kmほど南西に位置するベリンゾーナからの旅客であった。

 

 

Castelgrande

 (Wikipediaより、ベリンゾーナ)

 


 イタリアとの国境ほど近く、しぜん風俗・人情混淆し、使用言語の面に於いてもイタリア語が主流を示すこの街で生まれ育った男子二名。幼き日からの付き合いで、至って陽気な友情により結ばれていたはずの両人は、しかし青年期のある時点にて致命的な衝突を遂げる。


 原因は、やはりというかであった。


 下手に長い時間を共に過ごしてきた所為か、彼らは女性の好みまで似通ってしまったものらしい。同時に一人の美女を愛してしまった。となれば、もはや友情もへったくれもないだろう。情慾の炎はむらがり湧いた。彼奴目を排して、このおれこそが彼女の心を独占するのだ。……


 生田春月の詩に謂う、

 

 

男と男――
男と男がほんとに會ふのは
この時ばかりだ、
女を中に
むかひ合つて立つ時だけだ。

獅子と獅子、
牛と牛、
刃物と刃物――
男と男が
血をみるときだ。

 


 そのものの状態であったろう。
 が、生田の詩は更にこう続く。

 

 

おれのものを何とする、
いや、おれの女だ、――
獅子と獅子、牛と牛、
男と男が出會ふとき
生命が火花を散らすとき。

そこまで何で行かなんだ、
お前は男でなかったか、
いやいや、丁寧に挨拶して
世間話をして別れた
男と男が、女を中に。
――二十世紀だもの。
 


 1906年は二十世紀の黎明である。


 ジョナタとセストの場合にも、これに類することが起こった。

 

 

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上高地

 


 いざ決闘を宣言したはいいものの、やはり古い付き合いの幼馴染みをぶちのめし、血を吐き出させ、場合によっては絶命に追い込むということは、心理的に抵抗がある。

 

(いや、それ以前に)


 世はとうに未開社会を過ぎているのだ。いくら合意の上の決闘だろうと、死体が出来れば殺人事件。恋敵を排除したとて、自分が牢にぶち込まれては話にならない。監獄の冷たい壁を眺めている間に、うららかな日差し降りそそぐ外の世界では愛し女が新たな男に言い寄られ、その腕に抱きすくめられているやも知れぬのだ。


(それはこまる)

 

 こうした具合の、言ってしまえば計算高さが、あるいは生田の詠じた二十世紀らしさであったか。


 ともあれ、なにかうまいやり口はないかと思案して、二人はついに妙案を得た。


 その「妙案」こそ「シュプリューゲンの雪崩決闘」。冬季にはスキーリゾートとして観光客を呼び込んでいるだけのことはあり、シュプリューゲンの雪は深い。

 

 

Spluegen

 (Wikipediaより、冬のシュプリューゲン)

 


 が、おあつらえ向きに今は春。上昇する気温、延びてゆく日照時間。冬の間に積もり積もったその分だけ、この土地は雪崩の巣として機能する。


「これを利用しよう」


 そういうことになった。


 ルールは単純、9時から11時までの120分間、地吹雪がひっきりなしに乱舞する山腹の傾斜地に突っ立っている、たったこれだけ。


 言うまでもなくとびきりの危険地帯に他ならず、そう待たずしてどちらかが雪崩に呑まれるだろう。それが決着。銃でも剣でも拳でもなく、天意――純然たる自然現象によって雌雄を決さんとしたあたり、際立って特異な決闘だった。

 


 が、天とはよほど根性曲がりであるらしい。

 


 雪崩が起こることには起こるのだが、ことごとく両者の立ち位置を素通りしてゆく。一日過ぎ、二日過ぎ、とうとう三日を経てもなお、互いに五体満足のまま、憮然顔で下山するのみ。


(馬鹿にしていやがる)


 そうこうする間に、二人の行う奇妙な儀式が下の村で話題になった。


 ――毎日毎日、山の中で何をやっているのだろう。


 山頂をきわめるわけでもないのに、ピストンよろしく往ったり来たりを繰り返し、その挙措はなはだ不審である――。


 そう訝しんだ村人の中で、通報する者があったらしい。四日目、もはや惰性で雪崩を待ち受け、案の定一顧だにされぬまま引き揚げてきた両名を、しかしながらこの日ばかりはいかつい顔の憲兵たちが出迎えるべく待っていた。


 こうなってしまえば、洗いざらい喋る他ない。


 ――最近の若い連中は、何を考えているのかさっぱりわからん。


 事のあらましを知った彼ら、良識ある大人たちは辟易まじりに言い合って、ジョナタとセストの無謀を叱り、その悪運にほとほと呆れた顔をした。


 もし二人纏めて死んでいたなら、あるいはダーウィンにノミネートできたやもしれぬ。

 

 

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 結局二人の決闘は公正なくじ引きという形に落ち着き、漸く白黒つけられた。

 

 このくじ引きとて敗者の側はスイスどころかヨーロッパを去り、アメリカに渡るというとんでもない条件のもと実施されたものであり、しかもこの約束は完璧に履行されたというのだから、彼らの義理堅さというか、契約に対する忠実をいっそ褒めてやるべきか。

 

 なんともはや、度外れた思考回路の持ち主だ。

 

 

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