戦前、この国では共産主義からの転向者を五つのグループに分けていた。
一、心の底から共産主義を見限って、その対極たる国家主義運動にまで跳ね飛ぶ者。
二、共産主義に幻滅を感じ、或いは入獄の苦痛に堪えかねて共産主義に疑いを持ち、その結果世の中を暗く観じ、ニヒリスティックになって総ての社会運動から引っ込んでしまう者。
三、それまで信仰していた共産主義の理念に矛盾乃至誤謬を見出し、これに国家社会主義的修正を施した者。佐野学や鍋山貞親が該当する。
四、共産主義を信奉してはいるものの、実践運動からは手を引いて、書斎に立て籠もることを選んだ落伍者、敗北者。
五、ある種の左翼文芸家及び運動家のように、何らの理想も理念も持たず、ただ喰うために職業的に小手先の理屈を捏ね回し、景気のいい方へと流れてゆく無節操、破廉恥漢。
この五つである。
当時の官憲が特に警戒の眼差しで視ていたのは第三の連中こそであったが、私は敢えて、第二の型に着目したい。
何故と言うに、このパターンを体現したのが生田春月という詩人だからだ。
生田春月には青春時代、確かに左側の思想に傾倒した期間があった。
行列の中に加はつて
青白い痩せつぽち、ひよろひよろと
にやけきつたるインテリゲンチヤ、
労働者の筋骨隆々として
色黒々とがつしりした中に挟まれ、
かぼそい聲で、懸命に
労働歌の聲を合せて行く
その志しは、涙が出る、
何等可憐の光景ぞ。
(『生田春月全集 第三巻』158頁)
この詩のように、その痕跡は至る処に見て取れる。
しかしながら春月の無邪気な憧れは、やがて左派活動家の実態に触れるにつれてこなごなに打ち砕かれる運びとなるのだ。
私はブルジョアが嫌ひだ。然しプロレタリアも同様に嫌ひだ。プロレタリアが出世するとブルジョアになる、結局本来のブルジョアよりも一層嫌なものが出来上る。それが嫌やだ。(中略)
段々と冷淡になってゆく春月の態度を、かつての「同志」たちは「軟弱」とか「弱気」とか罵ったそうだが、私に言わせれば春月は、彼らほど単純な頭のつくりをしていなかっただけだろう。
批評は究局、その対象の批評でなくして自分自身の批評に他ならぬ。
或る作品を批評する場合に、その作品によって惹起された自分の精神の反応を吟味する事によって、その批評は始まらねばならない。
その吟味を経ない批評は、要するに、ただの漫言たるにとどまる。(『生田春月全集 第八巻』91頁)
そうした罵詈雑言は、春月をして更に社会運動より離れさせ、代わってニヒリズムの深みへと没頭せしめる結果を招いた。
ロベスピエールは其詩集を引き裂いた。マラーはそのセンティメンタルな小説を、デムーランはその詩作を、ナポレオンはその『エルテルの悲しみ』を模倣した小説を破棄した。近くは、共産主義者の祖師、マルクス宗の開山なるカール・マルクスは、その青年時代の詩作を悉く破却してしまった。かくて、彼等はその理想に従って、世界を変革せんと奮起したのだ。
然るに今や、「世界を変革せんとする意志を以て、詩を作り、小説を書け」と主張する人々があらはれた。マルクスの道を逆に取ってかへさうといふのだ。我々は無益にマルクスと違った世紀にゐなかったのだ。地下のマルクスがこれを知ったなら、あのときあの詩稿を破るんぢゃなかったと、地団太ふんでくやしがるに違ひない。(『生田春月全集 第九巻』70頁)
共産主義を新興宗教に喩えるあたり、この思想の本質をよく穿っている。
暴力革命を礼讃したり、どういうわけか高学歴の、所謂「頭のいい奴」ほど引っかかって虜になる点、オウム真理教と共産主義はそっくりだ。
人生が一つの欺瞞に過ぎないといふ事だ、
何等新しい発見ではない。
ただ、おれの絶望だけが事珍しいのだ。
おれはおれの阿呆のかぎりを晒すために、
何千枚といふ詩を書いたのだ。
利巧者が勝つにきまつてゐる。
どんな自由平等の思想が語られようと、
智慧者がいつも利益を収めるのだ。
既に十年前にその苦い真実を道破したおれだ、
その底のをりまで飲まうと十年生きのびたのだ。
(『生田春月全集 第三巻』479頁)
転向は生田春月の価値を高めた。
転がった先のニヒリズムの底なし沼こそ、真に彼に相応しき居場所であった。
決して、損なわれはしなかったのだ。
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