穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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酔い痴れしもの


 日本土木会社の禄を食む若い衆五名がリンチ被害に遭ったのは、明治二十四年一月二十八日のはなし。「陸軍の街」青山で、その看板に相応しく、兵舎建設作業のために腕を揮っていたところ、突発したる沙汰だった。

 

 

Aoyama Parade-grounds

Wikipediaより、青山練兵場)

 


 五人を囲むに、犯人たちは四十人もの多勢を以ってしたという。


「なんだ、てめえらァ!」


 圧倒的な数の差だ。肉体労働を事として、如何に体力に自信があれど、覆せる不利でない。抵抗空しく、被害者たちは一方的に殴られ、蹴られ。意識に恍惚の皮膜がかかる間際まで、暴虐を加えられてしまった。


 犯人たちの素性の方は、すぐ割れた。


 そも、隠す気が無かったとすらいっていい。同業者・・・である。同じ建設作業員。実はこのとき、東京市では大規模な――あくまでも当時の基準からして、ではあるが――建設ストが進行中であったのだ。もっと給料を寄越さなければ働かねえぞと千人以上が頑張っていた。にも拘らず日本土木会社めは、勤労精神を発揮して通常業務を貫徹し、闘争の足並みを大きく乱した。なんと許し難い背徳だろう。


「制裁じゃな」
「左様よの、事ここに至っては是非もなし」
「心得違いの畜生に、痛棒を当ててくれようず」


 必然として、そういう流れに帰着する。

 

 

Zenkyoto

Wikipediaより、全共闘ゲバヘル)

 


 謂わば五名はみせしめ・・・・として袋叩きの目に遭った。やってられない話だが、ストライキには付き物の陰湿さといっていい。なんなら小作争議でも、よく使用つかわれた手法であった。地主が新たに雇用した、従順な小作が闇討ちされる。頭の鉢をかち割られ、道端に転がされている。資本家・地主に媚びを売る犬野郎めは一匹残らずこう・・だぞと、血を伴ったアジテーションで恐怖と狂気を促進し、無理矢理にでも一体感をつくりだす。そういうことを職業的にやるやつが、日本国にも棲んでいた。烈火の時代があったのだ。


 明治二十四年はさらなり、どのケースを見てみても、下手人どもに罪悪感など皆無であったに違いない。


 それどころか裏切り者を成敗したと、「正義」を果たした充足に身を火照らせていただろう。


 さながら酔客の如くに、だ。

 

 

 


 本当に生きるとは、つまり酔ふことである。
 酔へない人間に何の悦びぞ――。

 


 生田春月の言や良し、「憂愁の詩人」の感性は、疑義を挟む余地もなく、この世の真理に触れていた。


 だが、ああ、しかし、こいねがわくば人々よ、もう少しマシな酒に酔え。

 

 

 

 

 


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