日本土木会社の禄を食む若い衆五名がリンチ被害に遭ったのは、明治二十四年一月二十八日のはなし。「陸軍の街」青山で、その看板に相応しく、兵舎建設作業のために腕を揮っていたところ、突発したる沙汰だった。
(Wikipediaより、青山練兵場)
五人を囲むに、犯人たちは四十人もの多勢を以ってしたという。
「なんだ、てめえらァ!」
圧倒的な数の差だ。肉体労働を事として、如何に体力に自信があれど、覆せる不利でない。抵抗空しく、被害者たちは一方的に殴られ、蹴られ。意識に恍惚の皮膜がかかる間際まで、暴虐を加えられてしまった。
犯人たちの素性の方は、すぐ割れた。
そも、隠す気が無かったとすらいっていい。
「制裁じゃな」
「左様よの、事ここに至っては是非もなし」
「心得違いの畜生に、痛棒を当ててくれようず」
必然として、そういう流れに帰着する。
謂わば五名は
明治二十四年はさらなり、どのケースを見てみても、下手人どもに罪悪感など皆無であったに違いない。
それどころか裏切り者を成敗したと、「正義」を果たした充足に身を火照らせていただろう。
さながら酔客の如くに、だ。
本当に生きるとは、つまり酔ふことである。
酔へない人間に何の悦びぞ――。
生田春月の言や良し、「憂愁の詩人」の感性は、疑義を挟む余地もなく、この世の真理に触れていた。
だが、ああ、しかし、
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