蝙蝠こ
俺が草履は
欲しけりゃ
呉れべえや
およそ一世紀前、明治・大正の昔。
鄙びた地方の子供たちは、こう歌いつつ下駄や草履といった履物を蝙蝠めがけて蹴り飛ばしていたという。
歌わないより、歌った方が不思議と命中率が高かったとか。オマジナイとしての側面も、このわらべうたにはあったのだろう。
とはいえ見事撃ち落としたところで、別段喰えるわけでもなければ役所に持って行って銭に換えてもらえるわけでも、むろんない。ミヤイリガイとは違うのである。
では何のために態々蝙蝠の安眠を妨げ、打ちどころによっては永遠の眠りに就かせてやるのかというと、実は目的など存在しない。
愉しいからそうするだけだ。
当時の子供たちにとっては、これが伝統的な「遊び」だったのである。
いや、ひょっとすると今もかもしれない。私自身、身に覚えのあることだ。幼少時、いくら母に叱られても蟻の虐殺を止めなかったし、バッタを石で磨り潰しては、わけもわからず喜んでいた。
実際問題、子供の心に他者へのいたわりなど存在しない。同じ人間に対してさえそうなのだから、昆虫や小動物に対してなど、もはや論ずるだに愚かであろう。世間ではよく「童心に帰れ」と、例えば良寛和尚なんかを引き合いに出して唱導されるが、このこともよく注意してやらないととんでもないことになる。
そのあたりの要諦を誰よりも正確に見抜いていたのは、やはり生田春月だった。
子供は遠慮会釈なく、傍若無人に振舞ふ。自分の欲しいものなら、どんなものでも取らなければ承知しない。
大人が気の毒で云へぬやうな他人の弱点を、ツケツケと云って憚らぬのは子供である。見馴れぬ人間や、異様な人間に対して、はやし立てて、後をつけまはすのは子供である。人の非常に困ってゐるのを、面白がって喜ぶのは子供である。
子供には同情などといふ観念は少しもない。
子供はタイラントである。
子供は奪うことを知って、与へることを知らない。
然し、どんなに我儘でも、勝手でも、それが子供だと、一向憎らしくはなくて、むしろそのために一層愛らしく思はれたりする。
子供は愛されるためのもので、愛するためのものではない。(『生田春月全集 第八巻』121頁)
思わず息を呑まされるほど「抜き身」な見解といっていい。
春月自身、子供の頃は蛙の生皮を剥いで板塀に張り付けたり、蛇を半殺しにして木の枝からぶら下げて置いたりする悪たれだった。
ゆえにこそ、この文章には尋常ならざる説得力が秘められている。
元悪童の生田春月、続けて曰く、
私達は子供であってはならない。私達の純真は子供のままの純真であってはならない。それは単なる非常識に過ぎないからである。(中略)良寛の童心は、子供そのままの心ではなかった。無智や無自覚ではなかった。良寛の玉の如き人格は、もって生れた天賦のものには違ひなからうが、また一面、非常な自己修養をも示してゐると思ふ。
一言にしていへば、良寛の言行の中には、智慧の光が輝いてゐる。
すべては智慧に帰する。
愛が智慧に照らされなければ、真実の浄らかな愛となりえない如く、純真も智慧を伴はなければ、無智なエゴイズムであり、単なる非常識で終るであらう。(同上、123~124頁)
金言と呼ぶに相応しい。
これだから春月は神だと言うのだ。
童心への回帰が単なるエゴイズムに堕ちないように、我々はこのことを胸に焼き付けておく必要がある。
焼いても
生臭え
悪童たちは僧侶の姿を見かけるや、こんな唄を歌って盛んにはやし立てたという。
春月の捉えた子供の特徴、「見馴れぬ人間や、異様な人間に対して、はやし立てて、後をつけまはすのは子供である」ということを、まざまざと証明するものだろう。
灸すえて
それでも
跳べるか
跳んでみろ
想像するだに該当部分が痛くなる。肛門からストローをぶっさし、息を吹き込み膨らませる現代式と、より残酷なのはどちらであろう。
どっちにしろ、やられる蛙はたまらない。やはり子供はタイラントだ。
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