穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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無何有の郷は今いずこ ―満鉄社員、アラスカを往く―


『アラスカ日記』を読んでいる。


 昭和七年、同地を歩いた満鉄社員、矢部茂による旅行記だ。

 

 

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 戦前といえど、欧米にまつわる紀行文は山とある。


 南洋だってそれなり以上の数に及ぼう。


 だがアラスカとなると至って稀で、現状私の蔵書に於いてはこの一冊があるきりだ。交通自体は割と盛んで、毎年三千からの日本人が彼の地に渡り、漁業や鉱山、缶詰工場等々で出稼ぎ労働に勤しんでいたと記録にあるが、惜しむべきかな、彼らは執筆活動にあまり向いてはいなかった。

 


 アラスカ航路で一等客の邦人は一年に一名もあるまい。大概は三等船客で出稼ぎの漁夫かコックさんだ。それで満洲から遥々遊歴に来た青年と云ふ点で、白人仲間では興味をひいてるらしく、船員も船客も、特に婦人等も心置なく打ちとけて呉れる。愉快な気分の船路である。(9~10頁)

 


 矢部茂もみずからの稀少性を自覚して、その恩恵を享受している。


 彼の乗り込んだ船の名前はユーコン丸。シアトル発、六千トン規模の旅客船。途次ビクトリア港やケチカン港に立ち寄りつつも一路北上、西海岸をなめるように沿って往く。

 

 

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(ケチカン港の漁船群)

 


 その最中、やはりいっとき脚を留めたオルソープAlthropなる港町にて、矢部はこんなものを見た。曰く、「埠頭の土間に土人の女房共が、手芸品を並べて売る。何れもアメリカナイズされて洋装で中に伊達眼鏡をかけて、コートの襟には皆毛皮を付けて居る」――。


 ごくさりげない記述であろう。


 眼前の景色をそのまま切り取っただけの描写だ。


(あっ)


 ところがこの下りを認めた瞬間、私の脳内神経回路は激しくスパーク。衝撃と共にひとつの記憶を深奥から引き上げる。


(これは山本実彦と、アイヌの構図ではないか)


 あの改造社の社長は社長で、似たような経験を積んでいた。


 やはり戦前、北海道に旅行した際、彼が目撃したモノは、もはや往年の精力を完全に失くした先住民のその姿。山本以下、観光客の姿を見るや、むしろ向こうの方から小腰をかがめて近寄って来て、


 ――写真はいかがですか。


 一枚何銭で共に写って差し上げましょうと自分を売り込む、その有り様を、山本は満腔の同情により筆を湿らせ書き綴ったものだった。


 アラスカに於ける矢部もまた、

 


 土人の信仰の対象であるトーテム・ポールは怒涛の様に侵入する弗の力の前に急速に解消して、年々歳々米本国に買出されて行く、シアトルに、サンフランシスコに、又東部諸地方の博物館等に其優秀なるものは送られる、土人の米化に伴って新しい創作はなくなって、幾十年かの後には結局アラスカ・インディアンの誇る可き雄大な木彫は絶滅するのではあるまいか。(13~14頁)

 


 少なからぬ感傷を通して、彼らの前途を予測している。

 

 

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(廃村にたたずむトーテムポール)

 


 曇天は気を塞がせる。


 この梅雨空で活動する私にも、なにやら彼らの憂愁が伝染しそうな雰囲気だ。

 

 

時代に逆行するものは、
時勢に順応せぬものは、
よく世に共に移らぬものは、
みな、滅びなければならぬのだ、
いな、敢て自ら進んで滅びるのだ。
この世を去って
不易の世に、
そのまどけき夢の世に、
無何有郷むかゆうきょうに帰らむために。

 


 本書が済んだら、久々に生田春月でも引っ張り出そうか。

 

 雨垂れに鼓膜をなぶられながら賞翫する彼の詩は、きっと格別に違いない。

 

 

 

 

 


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