人間は容易に死ねない。死ねない代わりに卑しくなる。私は自殺を罪悪視し、自殺者を非議する人に賛成する事が出来ない。我々が社会の一構成分子として、自殺者の行為によって、暗黙の間に、自己を難ぜられたやうな気のすることは事実だ。ここに自殺否定の一つの根拠がある。(『生田春月全集 第八巻』473頁)
かく語りし春月である。この人は案外、古代ギリシャ・ローマあたりにでも行けば、けっこう幸せになれたかもしれない。というのも当節当地にあっては自殺はぜんぜん非議されず、むしろ大いに肯定され、その実行者には惜しみない称賛がおくられる行為だったからである。
いや、ギリシャ・ローマと簡単に言うが、その言葉が指し示す範囲は極めて広く、また長い。よって常にそんなであったはずもなく、少なくとも『アサシンクリード オデッセイ』の舞台となったアテネ・スパルタの時代には、そのような弊風は無かったのだ。
それどころかアテネでは、自殺を明らかに罪悪視していた形跡すらある。自殺者の死体は必ず右手を切り取られ、火葬に処すよう決められていたのがすなわちそれだ。
古代ギリシャ世界に於いて、埋葬は極めて重い意味を持つ。
おそらくは、死後の安息が訪れぬようにとの呪術的意図があったのではないか。
アリストテレスは自殺を以って国家に対する罪悪なりと規定しており、ピタゴラスも神の命令なくして死んではならぬと説いている。およそ健全な社会の姿といっていい。
それがスコラ派・エピクロス派といったような、所謂「自由論者」たちが蔓延りだして以降、なにやら雲行きが怪しくなるのだ。
これらの派閥の哲学者には、自殺を以って自由の最高の表現と定義し、尊敬すべき行為と看做し、あまつ「幸福と平和に導く唯一の道」とまで叫ぶ傾向が見受けられ、しかもそれを絢爛華麗な弁論術で民衆相手に説き聴かせるのだからたまらない。
その影響は遅効性の毒のようにじわりじわりと社会を蝕み、やがてはっきりと目に見える形で表出したのが、紀元31年頃のキオスやマッシリアであったろう。
この時代、この地域に暮らした人々にとって自殺はなんら不道徳な行為ではなく、それどころか「お
配布された毒薬はヘムロックという、ドクニンジンから精製される代物で、ソクラテスの死刑に使われたのもコレである。
効果は折り紙付きといっていい。
服めば過たず死ねたであろう。
ことほど左様に自殺が受け入れられた社会というのは、人類史を総覧しても他にちょっと類がないのではなかろうか。
これには春月も、きっと満足してくれるだろう。――と思って居たのだが、これを書いている内に別の想像が頭をもたげ、無視できないほど成長してきた。春月は、逆に不快がるのではあるまいか。
生田春月は死を重々しいものとして、ともすれば生よりも上に置き、その荘厳さに憧憬していた。そのことは、彼の詩作のはしばしによく滲み出ている。
だが、墓地が無料、急いで死ねとそそのかしたら本当にやりかねない社会――自殺があまりにも軽々しく扱われる、そんな世にあっては荘厳もへったくれもないであろう。そのような只中に置かれたならば、春月は彼の愛する美を守るべく「死の堪え難い軽さ」とでも銘打って、軽はずみな自死を思い止まらせる論調でも展開したのではあるまいか。
そちらの方が、私の中にある春月像にそぐっているようである。
死にたい死にたいといつても死なぬ。
これが人の身、木の葉は落ちて、
夢は散れども、身は散らず。
容易に散らない、散れないからこその人なのだ。
春月が魅せられた美も、吐くほど嫌悪した醜も、淵源はそこにあったのだろう。
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