肉を底まで行けば
心にぶッつかる
心を底まで行けば
肉にぶッつかる。
それにぶッつからねば
まだ徹せぬのだ。
なまぬるい恋、
恋とも云へぬ
いろごとよ、
賢い人のする
いろごとよ。
心にぶッつかる
心を底まで行けば
肉にぶッつかる。
それにぶッつからねば
まだ徹せぬのだ。
なまぬるい恋、
恋とも云へぬ
いろごとよ、
賢い人のする
いろごとよ。
それは汚い
どろどろのどぶ よ、
どぶ にもきれいな
花は咲く。
花は咲けども
ふみにじる
男ごころは
戀知らず。
どろどろの
花は咲く。
花は咲けども
ふみにじる
男ごころは
戀知らず。
肉をもって肉を防ぐと
須磨子の愛人の云へる言葉よ、
四十歳の男の言葉
それが俺には云へなんだ。
道徳が俺の首かせ、
臆病が俺の足どめ、
もう愛する女はみなマダム、
今ごろ何をぢたばたする、
今となっては、もうおそい、
おまへの子供は何処にもない。
(同上、41頁)
須磨子の愛人の云へる言葉よ、
四十歳の男の言葉
それが俺には云へなんだ。
道徳が俺の首かせ、
臆病が俺の足どめ、
もう愛する女はみなマダム、
今ごろ何をぢたばたする、
今となっては、もうおそい、
おまへの子供は何処にもない。
(同上、41頁)
おれはたった一人の女をも
幸福にしてはやれない男だ、
おれを愛してくれた女たちは
豚に真珠を投げやつたのだ。
幸福にしてはやれない男だ、
おれを愛してくれた女たちは
豚に真珠を投げやつたのだ。
女を愛する事の出来る男は、
強く生きる力をもつてゐなければならない。
女はその全生命を挙げて頼るのだから
力強く抱擁してやらねばならない。
強く生きる力をもつてゐなければならない。
女はその全生命を挙げて頼るのだから
力強く抱擁してやらねばならない。
それにおれは女の愛によつて
その弱さと苦しみから救はれようとした。
何といふ愚昧、何といふ罪悪!
おれは愛してはならない男だ。
その弱さと苦しみから救はれようとした。
何といふ愚昧、何といふ罪悪!
おれは愛してはならない男だ。
おれはたった一人の女をも
幸福にしてはやれない男だ、
おれを愛してくれるならば
みんなおれを捨てて行つてくれ。
(同上、459頁)
幸福にしてはやれない男だ、
おれを愛してくれるならば
みんなおれを捨てて行つてくれ。
(同上、459頁)
最後の句からはなんとなく、ニーチェのあの言葉が連想される。すなわち、
ここには、真の男が少ない。それゆえここの女たちは男性化する。つまり十分に男である者だけが、女の内部にある
という、あの言葉が。