穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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春月ちぎれちぎれ ―流水・友情・独占欲―

 


「私は、水の恋人と云ってもいい位、水を眺めるのが好きな性癖があって、橋の上を通るときは、そこから下を流れる水を見下ろさずにはゐられないし、海岸に たたずんで、いつまでもいつまでも、束の間の白い波線の閃きを眺めるのが、私は好きであった」

 


 一見、穏当な内容である。


 四辺を海に囲まれて、降雨量もまた多く、水の豊かな日本だ。接触の機会が多ければ、目覚める率もいや増そう。こういう趣味の持ち主は、決して少なくないはずだ。


 ただ、これが生田春月の言葉と知ると、ちょっと身構えずにはいられない。

 

 

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 (ユーシン渓谷にて、2015年5月撮影)

 


 この男の死に様が入水自殺である以上、当然の反応といっていい。昭和五年五月十九日、大阪発・別府行きの貨客船「菫丸」より播磨灘に身を投げた。以来彼の幽魂は、永遠に瀬戸内海の波の合間を漂っている。


 その動機に関しては三角関係の苦悩とか厭世主義の完成とか色々取り沙汰されてもいるが、冒頭の一文を踏まえた場合、あるいはこんな想像も成り立たないか。――かねてより魅せられ続けた美の世界、酒よりも血を疼かせる水の流れのくるめき・・・・に、つい陶酔が臨界を超え、その渦中へと文字通り没入したくなってしまったのではなかろうか、と。


 実際問題、絶景を前に希死念慮が芽生えるのはよくあることだ。


 不安定の極にあった彼の心に、瀬戸内海の風光はまばゆ過ぎたのかもしれない。

 

 

Seto Inland Sea

 (Wikipediaより、瀬戸内海)

 


 ときに、生田春月といえば――。


 と、やや強引な話の転換を許されたい。最近、ある特定の行動中に、しばしば彼の箴言が脳裏をふっとよぎるのだ。


 具体的には、前回の記事でも少しく触れたひぐらしのなく頃にを視聴中。


 曰く、「昨日までの友達が、今日は最も激烈な敵となる場合が世の中には非常に多い」


 曰く、「人間は自分の一番信じ、一番愛したものから、一番手ひどく裏切られる。そんな例は歴史上にもザラにある事だし、自分たちの周囲には、なほ更ら多い」


 曰く、「人間の一生は、友達を失う過程のやうなものだ」


 曰く、「私は今、多くの古い友達について考へる。むかしの友達をおもふのは、あたかも自分の青春の墓を見るやうな思ひがする」


 曰く、曰く、等、等、等――。


 ざっとこのような春月一個の友情論が頭の隅から勝手にあふれ、私を果てしない鬱に導く。


 なんとなれば絶惨放送中である『業/卒』シリーズとはつまり、北条沙都子古手梨花、本来無二の親友であったこの両名の確執に端を発する物語であるからだ。

 

 

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白川郷の景色)

 


 で、私の心情を開陳すると、梨花が沙都子を「青春の墓」にするような、そんな展開は何を措いても見たくない。私は北条沙都子のような、心根の複雑に入り組んだ、それでいて狂おしいほど巨大な情念に憑かれたタイプの女性というのが、好きで好きでたまらないのだ。幸あれかしと祈らずにはいられない。


 この偏りの出発点ははっきりしている。アルトネリコ2を通して瑠珈・トゥルーリーワースに邂逅して以来のことだ。ああ、彼女のコスモスフィア精神世界は実にみごとな出来だった。


 Lv7初体験の衝撃は、たぶん一生忘れられない。


 以下、その大胆な告白から掻いつまむ。なお、「クロア」というのは主人公の名前であること、一応前置きしておこう。

 


「違う? どうして…?
 どうして私に反論するの…?
 だってクロアは私のことが好きなんでしょ? 誰よりも何よりも、一番好きなんでしょ?
 だったら私の言うことに賛同してよ。クロアが自分よりも私のことを愛しく思う気持ちを見せてよ!
 私のために何でもしてよ! 私のために自分の身を犠牲にしてよ!
 私のために…死んでよ…」


「大丈夫だよ…。クロアは絶対に死なせはしないもん。どんな状態でも生きてもらうもん。
 愛だけ確認できれば、本当に死ぬ必要はないもの。
 例え身体がまっぷたつに裂けても、指一本動かせなくなっちゃっても…絶対に死なせはしないから、だから安心して…?」


「…え? どうして?
 どうしてそういう事言うの!? 酷いよ! 詐欺じゃない!!」


「それじゃ、本当に私のこと好きになって! 今の数十倍、数百倍好きになって!!
 私のためなら、命を捨ててもいいぐらい、どんな危険なことも、ヤバイ事もやってのけるくらい好きになって!」


「なれ!! 好きになれ!! 私がいなくなったら寂しくて死んでしまうくらい、私のことを好きになれ!!
 私は今までクロアに尽くしてきた! 完璧なくらい、いい女を描いてきた! 嫌われる要素は全部排除してきた!
 私は完璧! 私は嫌われる要素なんて、何も持ち合わせていない!!
 おかしいのはテメェなんだよ! テメェの精神がおかしいんだよ! 異常なんだよ!!」


「苦しい? 私はまだ足りないの…。こんなに強く抱きしめていても、私にはまだ全然足りないの!
 この両腕で締め潰して、貴方のほとばしる血と肉を全身に浴びてもまだ物足りない! それくらいクロアが欲しいの!!
 そうでなければ…不安なの…寂しいの…!!」

 

 

 


 感動的と評するより他にない。


 なんという一途さであったろう。


 こういう台詞を主人公にぶつけてくれるヒロインが、果たして他に何人いるか。そうだとも、独占を強いない愛なぞが、この世のいったい何処にある。


「『私はあなたを愛します』とは、『私はあなたを自分のものにしたい』といふことだ。このわかりきった事がよく間違へられる」


 これも春月の言葉だったか。

 

 

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柴田ヨクサルハチワンダイバー』より)

 


 だいぶ迷走してきた感があるので、このあたりで切り上げる。


 最後に原点回帰して、水にちなんだ春月の詩を添えておこう。

 

 

澤瀉おもだかの葉のかるくうく
野中の清水しづかにて
昨日も今日も水すまし
澄みたる鏡、影をひく

 


 山梨県西山梨郡里垣村に滞在中、葡萄畑の合間の繁みに偶然見つけた古池を素材タネに、春月はこれを編み上げた。


 そのあたりには現在中央線酒折駅が設置され、電車がときたま出入りしている。

 

 

 

 

 

 
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