穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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至誠一貫 ―終戦の日の愛国者―


 昭和二十年八月十五日、玉音放送――。


 大日本帝国の弔鐘といっても過言ではない、その御言宣みことのりがラジオを通じて伝わったとき。小泉信三は病床に横たわっていた。


 せんだっての空襲で体表面をしたたかに焼かれ、ほとんど死の寸前まで追い詰められた所為である。幸い急場は脱したが、元通りの生活を――自分で自分の面倒を見切れるようになるまでは、まだ相当の時日を要した。


 今はとにかく身体をいたわり、安静を心がけねばならぬ時期。ラジオの前で正座など、到底可能な業でない。

 

 

Japanese civilians listening to the surrender broadcast

 (Wikipediaより、玉音放送を聞く日本国民)

 


 何日かして、田中耕太郎が見舞いがてらやってきた。


 時節柄、話はしぜんとポツダム宣言受諾に及び、「吾々は、ともに国の非運を悲しみ、陛下の御決断を有り難いことだといい、しかしまた、日本人として世界に向って語るべき言分もないのではない。何時かその日も来るであろう。その時のために、少し英文が楽に書けるように練習して置こうではないか、などと語り合った」そうである。(昭和三十三年『朝の机』)


 さらりと書いてのけてはいるが、これは本来、途轍もない内容だ。


 傍から見れば、小泉信三ほど世を怨むに値する男も珍しい。


 大東亜戦争は実に多くを彼から奪った。


 長男信吉を南太平洋の海戦に亡くし、焼夷弾に住居を焼かれ、自身も皮膚をおびただしく失った――それはもう、人相さえ変わるほど。


 戦争を呪い、軍人を罵倒し、兵器を軽蔑する資格なら、誰より豊富に持っていたろう。


 しかし彼はその資格を使わなかった。使うことなく、あくまで祖国に忠を尽くした。そこに小泉を小泉たらしめる鋼鉄はがねの如き意志がある。

 

 

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(左から、長女加代、信三、長男信吉、妻とみ、次女タエ)

 


 彼は終生、愛国心「人間の感情の最も純粋なるもの」と説き続け、国内左派勢力、いわゆる進歩的文化人を向こうにまわし、熾烈な論戦をたたかい続けた。

 


 われわれが国を思う心、われわれが祖先と自分と子孫とがそこで生まれて、そうしてそこに死ぬべきこの国土と、そこに住む同胞と、その歴史や伝統や習俗に対する愛着は、人間感情の最も純粋なるものに属し、人は極めて自然にこれを抱くのである。この愛国心が狭隘な排他的のものとなって、万一にも世界と人類の幸福に逆行することは、極力戒めなければならぬところであって、高い理性によって、これを純化する必要は、私たちのしばしも忘れてはならぬところであるが、しかし、日本の利害と栄辱とを、他国民のそれと全く同一視して、変わりがないということは、己を偽ることなしにはいい得ない。これが多くの人にとっての真実であると思う。

 


 昭和三十七年刊行、『十日十話』で詳らかにされたこの信念は、ついに最期の最期まで、些かの屈曲もなかったように思われる。


 私が小泉を尊敬するのはここ・・なのだ。そうだとも、人間には、男には。首をもがれてでも貫き通さなければならない節義というのが確実にある。


 そういうものを持って守っているやつだけが、「漢」と呼ばれる資格があるのだ。


 以上、七十六回目の終戦記念日に際して、湧き上がる衝動のまま書いてみた。

 

 

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 ああ、そういえば。人を破滅に誘う第一として、生田春月は智慧の伴わぬ誠実」を挙げていたか。


 この短い箴言は、愛国心純化する過程に於いて高い効果を示すと思う。


 よって最後に書き添えた。ただそれだけのことである。

 

 

 

 

 


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