穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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叛逆に失敗した男 ―生田春月―

 

 弱者はその弱さゆえに強さに憧れる。そこに自己嫌悪が生まれ、自己叛逆が行われる。
自分に打ち勝つ」とは、畢竟この一連の経過の繰り返しに他ならない――生田春月は、そのように私に示してくれた。


 これほど納得のいく解剖例を他に知らない。流石は春月、慧眼である。
 まあもっとも、春月自身はみずからを、


 ――叛逆に失敗した男


 と定義付け、しきりに慨嘆してやまなかったが。晩年――といっても彼の場合、あまりに若すぎる晩年だが――に於ける評論・感想等の著作物には特にその傾向が強烈で、読んでいるこっちの気分までつい引っ張られ、陰々滅々、指先からゆっくりと死んでゆくような感覚に陥らずにはいられない。

 

 

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 他人の行為を裁断する所謂道徳家と、他人の作品を是非する所謂批評家とは、弱い人間をむちうって、何をしようといふのであるか。弱いのだ、力が足りないのだ、自分はさうするより外はなかったのだ、自分は自分の出来るだけの事をした、この上自分にはどうする事も出来ないのだ、これが弱い罪人と弱い作者との答である。(『生田春月全集 第八巻』119頁)


 これなどは、その代表的な一節といっていいだろう。
 破壊力が実に高い。


 生きてゐて、出来るだけ善くなるやうにと思って、出来るだけの仕事をしてをれば、世間は決してその仕事を善くは言はない。多くの批評は、大抵非難で、そして、その非難を煎じつめてみると、結局、被難者に死を勧告してゐないものはない。(中略)ところが、もしその非難せられたものが死んだ時、さうした非難者は何と言ふか?
 今度は馬鹿だといふのだ。(『生田春月全集 第七巻』316頁)


 よほど辛辣な批判を浴びせられでもしたのだろうか? 批評家なる人種に対し、とかく春月は肌が合わなかったように思われる。
 いずれにせよ、どきりとくる内容だ。春月のかつて・・・と我々のいま・・ とで、人の中身は大して変化していないと実感させてくれるものだろう。


 自分が自叙伝を書く事をやめたのは賢明であった。それは時勢遅れなエゴイズムであり、最も愚昧な自惚であるばかりではない、如上の謬見を悟らば、まったく無用の業だからだ。
「生れた、苦しんだ、死んだ」それ以上何も書く事は無い筈である。そして、これは書かなくとも、誰でも知ってゐる。(『生田春月全集 第八巻』489頁)


 七のもの、五のものを十に見せようとするところに文章技巧があるのではない。
 十のものを七、若しくは五の文章に表し尽くそうとするところに文章技巧は光るのだ。なべて名文は簡にして明――。


 そう信じて今日まで来た私だが、これは、この「自叙伝」は、あまりに簡潔過ぎるだろう。


 何を訴えたいかは厭になるほど明白だ。過不足なく表し尽くされている。しかしこれでは、ほとんど電報と変わるところがないではないか。私の理想とする文章の在り方とは、なんということであろう、畢竟電報に帰着するのか?


 思わぬ不意打ちを喰らった気分である。生田春月、おそるべし。

 

 


 以上、ざっと鳥瞰するに、春月の


 ――おれは自己叛逆に失敗した男だ。


 との見立ては、なるほどもっともなことのように思われる。彼は確かに、その壁を乗り越えることが出来なかった。生涯自己嫌悪の範疇にとどまり続けた。
 が、だからといって膝を抱えて座り込み、壁に背をあずけたっきり為すこともなく、ひたすら宙を仰ぎ見ていたというわけでもないだろう。私の眼に映る春月の姿は、その壁の下の地面を一心不乱に掘り返す――それも道具も使わずに、素手でひたすら土を掻く、幽鬼の如きそれである。


 端的に、無惨な光景だ。爪が割れ、露出した肉に砂利が喰い込み、鮮やかな血が滴り落ちる。それでも春月は手を休めない。憑かれたように土を掘る。ただひたすらに下へ下へ、根の国へ、暗黒の底へ、――人間性の深淵へ。


 自己嫌悪もここまで徹底したならば、もはや立派な道であろう。


 春月の著書は幾度読んでも胸を打つ。まさに春ノ月が如し、汲めども汲めども尽きせぬ情緒を秘めているのだ。

 

 

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