穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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私的生田春月撰集 ―厭世・悲観・虚無 其之参―

 

 われ自らをいたんで云へらく、
 あらゆる流行品の敵たること、
 これわが運命なり、
 わが誇りなり、
 わが悲しみなりと。
 ああ、流行にそむくこと、
 流行に抗すること、
 流行を憎むこと、
 いまこそ、それはわが死である。
 
 時代に逆行するものは、
 時代に順応せぬものは、
 よく世に共に移らぬものは、
 みな、滅びなければならぬのだ、
 いな、敢て自ら進んで滅びるのだ。
 この世を去つて
 不易の世に、
 そのまどけき夢の世に、
 無何有郷むかゆうきょうに帰らむために。
(昭和六年『生田春月全集 第三巻』20頁)
 
 
 
 俺は破産した、
 確かに斃れた。
 斃れたからには、
 誰も恐れぬ
 そらの鳥
 
 失敗商人の子で
 失敗詩人
 破産者の子で
 破産者で、
 めでたしめでたし。
 
 何も持たねば
 盗まれはせぬ、
 ままよ、気儘よ、
 今は気楽な
 空の鳥。
(同上、43頁)
 
 
 
 おれはたしかに欺かれた、
 人生に欺かれたと思ふ。
 だつて、おれが真剣に働いてゐたとき、
 おれはただ人の憎みと蔑みと、
 雨のやうな罵言とを買ったばかりだ。
(同上、126頁)
 
 
 
 世渡る術を知らざれば
 敗れてわれは死を思ふ。
 なす事する事みんな駄目、
 死ぬが唯一の處世法。
 
 正直まともに、閉まつた門の
 あくのを待つてゐるひまに、
 後から来たもの、もうゐない。
 中では笑ひの聲がする。
 みんな裏口から入つたのだ。
 ぢだんだ・・・・ふんでも追つつかぬ。
 みんな利巧に立廻る。
 利巧でなければ生きられぬ。
 それが此の世の不文律。
 
 おれは駄目だ、おれは厭やだ。
 その駄目なところがねうちだと
 買つて下さる人もある。
 おれが困れば困るほど、
 おれのねうちが上がるのか。
(同上。142頁)
 
 

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  春月は地上を濁世だと、邪悪なる者のみが繁栄を許される穢土であると規定する。血を吐く思いで力説している。彼の魅力は其処にある。
 そうだとも、人生は苦界にして無明長夜に他ならず、日々闘争の連続だ。「人生は明るい」だの「平穏な日常」だのといった単語に拒絶反応を示す体質な私にとって、彼の言葉は癒しでさえある。

 ただ、春月は濁世を厭い、ともすれば他界へ憧憬する傾向があったに反して、私は濁世であればこそ、猶更この地上にしがみついていたいとの欲求がむらがり起こって来るものだ。
 よって私の厭世は、どこまでいっても所詮趣味の域を脱しない。主義と呼べる域まで厭世を徹底させてしまった結果は、どう言い訳しても春月のように自分で自分を始末する以外にないからだ。

 謂うなら私は厭世を、一個の嗜好品として愛用しているだけである。こうした姿勢を春月が聴けばどんな顔をするであろうか。賢い生き方、流石は二十一世紀よと、さだめし皮肉にあげつらってくれるに違いない。
 
 
 


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