穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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野球に熱狂するひとびと ―戦前戦後で変わらぬ熱気―

一 戦運我れに拙くて無残や敵に屠られぬつづみを収め旗を巻き悄然として力なくいくさの庭を退(しりぞ)きし今日の悲憤を如何にせむ。 一見軍歌か何かのような印象を受けるが、これは紛うことなき野球の歌だ。 戦前、東大内部のリーグ戦に於いて不敗を誇った…

尾崎行雄、敵愾の詩

先日の記事の補遺として、書く。 尾崎行雄咢堂は、やはり異常人であるようだ。 通常、日本人というものは、死者の悪口をあまり言わない。 死なばみな仏という意識が自然にあって、生前のあれこれは水に流そうという気分がはたらく。 ところが咢堂に限っては…

尾崎行雄と偽装大国

咢堂こと尾崎行雄が、軽井沢の別荘に起居していたころ。彼にはひとつの習慣があった。 早朝、日の出とほとんど時を同じゅうして戸外に出、浅間山の広闊なる裾野にて乗馬運動を楽しむのである。 ところがその日、いつもの日課をこなすべく玄関を出でた咢堂は…

『柳樽』川柳私的撰集 ―其之弐―

里のない 女所(にょうぼう)は井戸で 怖がらせ 井戸をどうやって脅しの道具に使うのかというと、こういう次第だ。 まず、袂に重そうな石をどっさり詰め込む。 身がずっしりと重くなったところで、次に井戸の縁に腰を下ろして体を揺らし、今にも落下しかねな…

『柳樽』川柳私的撰集 ―其之壱―

日本人はユーモアセンスの欠落した民族である。そんな指摘を事あるごとに耳にするが、私はこれに賛同できない。 何故なら、川柳というものがある。 痛烈骨を刺す諷刺をたった十七文字に凝縮させて、しかも軽妙洒脱な爽快さを失わない川柳という文芸は、まっ…

「ギブミーチョコレート」の系譜

維新史で江戸がクローズアップされるのは、たいてい彰義隊騒動以後であり、それまでこの百万大都市は風雲をよそに眠りこけていたかのような観がある。 が、事実は決してそうではない。 時勢の影響は、しっかりと随所に於いてあらわれていた。 徳川慶喜が江戸…

土井晩翠激情の歌 ―黒龍江虐殺事件―

19世紀も残すところ五ヶ月を切った、1900年8月3日。 中国大陸東北地方、黒龍江にて耳を塞ぎたくなる惨事が起きた。 虐殺である。義和団事件の混乱を幸い、この機に乗じて満蒙一帯の支配を盤石ならしめんと画策した帝政ロシアの手によるものだ。 (Wikipedia…

「方言歌」撰集 ―熊本・大島・飛騨・出雲・長崎―

雲州にては人の来たりたるをキラレタといふ語習がある、同国人或る地方に在勤し、県知事汽船にて来着せるを県庁へ打電して、「イマ知事汽船ニテキラレ」と伝へたる為に、大いに県庁を騒かしたといふ(『日本周遊奇談』330頁) 電報にまつわる奇談である。 確…

井上円了のうたごころ

「妖怪博士」「化物先生」「幽霊の問屋」――。 これらの渾名はいずれも井上円了に冠せられたものであり、明治の中ごろには既に相当広く人口に膾炙していたらしく、円了が地方を巡遊すると、決まってその極彩色の看板に誘引された奴がいて、妖怪の説明やら怪談…

井上円了の見た明治日本 ―川のない島、伊豆大島―

明治四十四年発行、『日本周遊奇談』を読んでいる。 「妖怪博士」、井上円了の著した本だ。 東洋大学の前身に当たる「哲学館」を創設した男でもある。 本書は円了の口述を人をして筆記させたものだけあって、非常に平易で読みやすい。 現代文を読み進めるの…

わらべうたに顕れたる幼さゆえの残酷さ ―生田春月の童心論―

蝙蝠こ蝙蝠こ汝(にし)が草履(ぢょうり)はくそ草履俺が草履は金(かね)草履(ぢょうり)欲しけりゃ呉れべえや およそ一世紀前、明治・大正の昔。 鄙びた地方の子供たちは、こう歌いつつ下駄や草履といった履物を蝙蝠めがけて蹴り飛ばしていたという。 歌…

「数え唄」撰集

一にいづめられ 二に睨められ 三にさばかれ 四に叱られて 五にごきはぎ洗ひすすぎさせられて 六にろくなもの被せられないで 七に質屋にちょとはせさせて 八にはづかれ 九にくどかれて 十にところをほったてられた 青森県は弘前に歌い継がれる数え唄。「津軽…

関東大震災と親不知の大雪崩 ―北陸びとのこころ―

東京から来た子供ひとりぼんやり空をながめてる空にゃ赤いとんぼいっぱいとんでゐる 大正十二年、関東大震災をテーマに、新潟の小学生が作った歌だ。 平成二十三年、東日本大震災が文字通り列島を震撼させた当時にも、実家の近くのアパートに福島から避難し…

『殉国憲兵の遺書』辞世撰集 ―英国編・其之弐―

新世(あらたよ)を固めなすべく吾も今戦友(とも)を慕ひてなき数に入る 仇風に露と消(け)ぬるはいとはねど心にかかる妻の行末 たよるべき杖と柱を失ひしいとし妻子の道は険しき われ逝きて妻のはぐくむ一人児を護りましませ天地の神 わが妻の哭きになき…

『殉国憲兵の遺書』辞世撰集 ―英国編・其之壱―

汁粥の乏しき糧に身は細り分ちかねけり鉄窓(まど)の雀に ますらをは弓矢のほかの憂き日にも国を念ひて心揺らがじ 皇国ののちの栄えを祈りつつ御勅かしこみ処刑場に立つ 国の為つくせし事のあだ花と散り行く我はあはれなりけり 靖国の戦友(とも)の御前に…

『殉国憲兵の遺書』辞世撰集 ―中国編・其之弐―

日の本はまぼろしの国夢の国なつかしの国還れざる国(陸軍憲兵准尉安藤茂樹、広東に於いて刑死) 戦後連合諸国が行った裁判とやらが、その実法もへったくれもない単なる感情任せの復讐行為であったのは既に常識と化しているが、中でも広東で開かれた「法廷」…

『殉国憲兵の遺書』辞世撰集 ―中国編・其之壱―

桜花笑って散らう国の為 大日本帝国陸軍憲兵曹長、小谷野正七(28)が北京に於いて銃殺刑に処される直前、最後に詠んだ詩である。 氏はこれを、ちり紙に書き付け辛うじて残した。 蒋介石は降伏した軍人に、遺書をしたためる紙すら与えなかったのかと思うと名…

古書の中から ―おわら玉天―

先日購入した昭和十一年発行の『相馬御風随筆全集 凡人浄土』を読んでいると、紙片がいちまい、滑り出てきて机の上に舞い落ちた。 何かと思って拾い上げれば、非常に美しい筆跡で、詩(うた)が書き付けられている。 冬 雪に埋れて 紙漉く村は 野積(のづみ…

暑中雑考

暑い。 まだ梅雨時にすら入ってないのに、むごたらしいまでのこの暑さときたらなんであろう。 七月八月に30℃を超えても別にどうとも思わぬが、五月に30℃を突破されるとなにやら絶望的な感に打たれる。 時ならぬ実を食うてはならぬという迷信的な用心深さが、…

生死の境の陶酔の味

血を抜いた。 およそ三ヶ月ぶりの、400mL全血献血。 体内から一気に血が失われると、なにやら得も言われぬいい気分になる。 戦場で重傷を負った兵士が、ときにその意識を蕩けさせ、恍惚のあまりあらぬことを口走ったりするのは軍記物等でまま見かける描写で…

転向者、生田春月

戦前、この国では共産主義からの転向者を五つのグループに分けていた。 一、心の底から共産主義を見限って、その対極たる国家主義運動にまで跳ね飛ぶ者。 二、共産主義に幻滅を感じ、或いは入獄の苦痛に堪えかねて共産主義に疑いを持ち、その結果世の中を暗…

刹那生滅頌

いくつになっても美しい女性というのは居る。確かに地上に実在している。 が、そうであっても少女時代の美しさと淑女時代の美しさは違う。同一人物上であっても、まるで別個の性質だ。 齢と共に変わりゆく、女性というものの美しさ。万華鏡の如きその一連の…

唱歌『舌切り雀』 ―声に出して読みたい日本語―

『川柳少女』なるアニメが放映中な今、同じく七五調で編まれた唱歌にも光が当たっていいはずだ。 そういうわけで手始めに、『舌切り雀』を紹介しようと考えた。 出典は昭和四年刊行の、『小学生全集第八十五巻 小学趣味読本』より。きっと戦前の小学校ではよ…

迷信百科 ―自殺奨励―

人間は容易に死ねない。死ねない代わりに卑しくなる。私は自殺を罪悪視し、自殺者を非議する人に賛成する事が出来ない。我々が社会の一構成分子として、自殺者の行為によって、暗黙の間に、自己を難ぜられたやうな気のすることは事実だ。ここに自殺否定の一…

渋沢栄一演説小話

新紙幣のデザイン草案が発表されて以来の流行りに、ここはひとつ便乗したい。最高位たる一万円札の肖像に選ばれ、すっかり「旬の人」になった渋沢栄一子爵について、わずかながら私の知り及ぶところを開陳しようと思うのだ。 翁の永眠より遡ることおよそ二年…

私的生田春月撰集 ―憂愁―

秋という単語から連想されるものはすべからく寂寥の色を帯びている。 それはそうだ、秋に心を添えたなら、もう愁(うれい)という字になるではないか。人をして感傷へといざなう万物の凋落時(ちょうらくどき)。春月は殊更にこの季節を愛したように思われる…

私的生田春月撰集 ―情熱・勇気・前進 其之弐―

すべての人に嘲られ罵られても、われは平然として、路上を行かん、昂然として。わが心には真珠あればなり。(昭和六年『生田春月全集 第二巻』、209頁) 血をもってその伝記の一頁一頁を染めて行け。中途にして、これを墨汁に換ふるべからず。(同上) 思へ…

私的生田春月撰集 ―情熱・勇気・前進 其之壱―

情熱・勇気・前進―― これらの単語は、一見春月とは無縁に映る。 だが春月にも、ニーチェが示した超人の姿を我と我が身に於いて実践せんと燃え立つ心があったのだ。 石うてば石も音する世にありてさはいつまでか黙(もだ)したまふや(昭和六年『生田春月全集…

私的生田春月撰集 ―厭世・悲観・虚無 其之肆―

人の一生は をかしなものよ、 平地の波瀾よ、 人の業(わざ) ヒョイと生れたら もう仕方なし、 千波萬波の 苦が走る。 やめろ、やめろよ、 人間様を、 やめたら人間 何になる。 佛になるか、 神になるか。 なんにもならぬ、 土になる。 (昭和六年『生田春…

私的生田春月撰集 ―厭世・悲観・虚無 其之参―

われ自らをいたんで云へらく、 あらゆる流行品の敵たること、 これわが運命なり、 わが誇りなり、 わが悲しみなりと。 ああ、流行にそむくこと、 流行に抗すること、 流行を憎むこと、 いまこそ、それはわが死である。 時代に逆行するものは、 時代に順応せ…