穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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『柳樽』川柳私的撰集 ―其之弐―

 

 

里のない 女所にょうぼうは井戸で 怖がらせ

 


 井戸をどうやって脅しの道具に使うのかというと、こういう次第だ。


 まず、袂に重そうな石をどっさり詰め込む。
 身がずっしりと重くなったところで、次に井戸の縁に腰を下ろして体を揺らし、今にも落下しかねない危険な雰囲気を醸し出す。
 さあ、ここでいよいよ決め台詞だ。「いいえ、死にますよ、死にますよ。どうせ帰る古里もない私なんです。いっそひと思いに。――」


 江戸時代、井戸は多く共用であり、つまりは公衆の面前である。
 衆人環視の真っ只中で斯くの如き愁嘆場、羞恥心持つ亭主であればとても堪えられるものではない。結局、負けて勝つのが男だと、平謝りに謝って場を収めるのに腐心する。

 

 

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 もっともこの手段は妻の評判も少なからぬ傷を負う。畢竟「里のない」、立場の低い女性にとっての窮余の策に他ならず、家付き女房のやることではない。


 諺にも「小糠三合あれば婿には行くな」とある通り、婿養子を迎えた側の権勢たるやかなりのもので、

 

 

この家で 生れた内儀 まけてゐず

 


 立派に亭主を尻に敷きおおせていたようだ。

 

 

外聞の よい奉公と 婿思ひ

 


 も同工異曲といっていい。

 

 

女房持 山を見い見い 鹿を追ひ

 


 この川柳の意味するところは、「鹿を追う猟師は山を見ず」の諺を知らねば理解できない。


 男として生まれた以上は様々な女を味わってみたい、しかし女房の雷も恐ろしい。


 結局色欲に屈するわけだが、しかし恐怖心を圧殺しきれたわけでなく、とどのつまりはおっかなびっくりやる破目になる。
 河豚は食いたし命は惜しし。獲物に焦がれるあまり我が家も何も忘れ果て、ひたすら深山の奥へ奥へと入り込んでゆく猟師の情熱にはとてものこと及ばない。そういう二股膏薬的な、腰の弱い男の姿を皮肉った作であるだろう。

 

 

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まおとこは 大和めぐりも すすめに来

 


「せっかくお伊勢参りに行くんです、この際ちょっと脚を延ばして、大和の古刹でも見て廻ってたらいかがでしょうか?」


 人の好さそうな笑顔を浮かべ、さりげなくこう提案してくる――その本意は留守にされる人妻との火遊びの時間を一日でも多く確保したいという、非常に自分本位な魂胆に他ならなかった。


 長期に亘って家を空けた場合、女房が何をするかというのはいつの時代も男にとって巨大な不安の種であり、それがために西洋に於いては貞操帯」などという奇天烈な発明品を生み出すに至ったほどである。

 

 

御亭主の すき見生死の 境なり

 


 もっともこの歌が詠まれた時分、浮気は冗談抜きで命懸けの沙汰であり、もし発覚した場合には、亭主は白刃をすっぱ抜き、姦婦と間男を諸共に斬殺しても「お構い無し」な仕組みであった。
 間男の緊張が、この五・七・五に躍如としている。

 

 

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旅の留守 ある夜内儀の 威丈高

 


 が、少々空閨が続いたからといって、女という女がすべて、間男を寝所に引っ張り込まずにはいられぬような、そんな貞節の「て」の字も知らない救い難き淫蕩揃いだったわけでは、むろんない。


 中にはこの十七文字に歌われているように、夜陰に乗じて密かに忍び寄ってきた鼻下長野郎をけんもほろろに叩き出し、


「馬鹿にするんじゃないよ、亭主の留守だからといって、そんなだらしない女とは違うんだからね」


 そんな具合に啖呵を切って、妻としての面目をほどこす烈婦とても確かにいた。


 こういう女性を妻にできた男こそ、果報者であったろう。まあもっとも、外からの侵略は跳ね返せても、

 

 

あげ足を 取らう取らうと 姑ばば

 


 内側の火種を燃え上がらせずに済ませられるかは、おのずから別問題に属したわけだが。
 嫁姑戦争の根は深い。

 

 

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