穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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井上円了のうたごころ

 

「妖怪博士」「化物先生」「幽霊の問屋」――。


 これらの渾名はいずれも井上円了に冠せられたものであり、明治の中ごろには既に相当広く人口に膾炙していたらしく、円了が地方を巡遊すると、決まってその極彩色の看板に誘引された奴がいて、妖怪の説明やら怪談の講釈やらを請求してきたそうである。


 それに対し、円了の答えは常に一定したものだった。すなわち、

 

 

天狗幽霊非怪物、清風明月是真怪

 


 の主義を立てて臨んだのである。

 

 

活眼を開きて観れば天も地も
水も空気もすべて妖怪

 


 の三十一文字みそひともじも、同じ主題に基き編まれたものだろう。
「活眼」を開くことで幽霊が枯れ尾花に化するのではなく、反対に森羅万象みな妖怪、一つとして奇なるものなしと気付くのだとは、またなんとも幻想郷の賢者連が我が意を得たりと喜びそうな句でないか。

 

 

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 このように、円了はよく己が意志の表明として詩作を以ってあてている。
 その中から、特に秀逸と感じた作を幾つか抽出して挙げてみたい。

 

 

吾すきは豆腐味噌汁香の物
とはいへなんでも人のくふもの

吾すかぬものは間食ばかりなり
御茶の外には間飲もせず

 


 ある人から好物を訊ねられて詠んだもの。
 円了は子の教育をほとんど妻に任せきりにしていたが、こと間食にだけは口を出し、十時と三時以外には決してこれを与えるなと厳命していたそうである。
「さうすると子供は間食物に異名をつけ、時間の来るを待ちて、十時のものを下さい、又は三時のものを下さいといふて請求する、一体いづれの子供も正直のものだ(『日本周遊奇談』、149頁)

 

 

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大仏の次は桜と茶粥なり
これを大和の名物とする
此外にまだもあります名物は
吉野袴と犬の先引
新平と天理教とを加ふれば
大和の国の七奇しちきとぞなる

ハブと豚いも泡盛ユタ墓場
赤き瓦を七奇とぞ知る

湯本より塔の沢へと宮の下
底倉木賀の次は蘆の湯
其外に堂ヶ島あり小涌谷
剛良湯の花姥子温泉

 


 それぞれ大和、沖縄、箱根温泉の名物名所を列したもの。
 固有名詞を連呼する、この種のうたに触れると私はいつも、日本の軍艦名を並べて詩と成した、日本海軍」というあの軍歌を想起せずにはいられなくなる。

 

 

Japanese aircraft carrier Hosho 1922

Wikipediaより、鳳翔) 

 


 そういえば、円了にも軍事を――具体的には日露戦争を――題材にした詩があった。

 

 

日露交兵已二年
海戦陸闘共空前
皇軍所嚮如破竹
陥落旅順屠奉天
大挙将衝浦鹽險
全軍志気益揚然
時有海軍報大捷
敵艦全滅無餘船
終局勝敗於是定
講和聲自米国傳
戦争元来非我意
唯期皇礎千載堅
平和条約忽締結
皇国威名震乾坤
朝野士民歓何極
萬歳高呼動山川
畢竟軍人決一死
或侵敵弾或砲煙
皆知勇進不知退
連戦連勝其功全
完了任務帰郷里
村民抃舞迎凱旋
如此偉勲何以謝
誠意捧来詩一篇

 


 奈良県吉野郡小川村凱旋軍人のために起草した漢詩だ。
 以下、読み下しを試みるが、なにぶん素人芸ゆえ噴飯ものの出来を寛恕されたし。

 

 

日露兵を交へて既に二年
海戦陸闘ともに空前
皇軍向かうところ破竹の如し
旅順陥落し奉天を屠り
大挙して将にウラジオの険を衝かんとす
全軍の志気ますます揚然
時に海軍大勝の報せあり
敵艦全滅して余の船なし
終局の勝敗ここに於いて定む
講和の声米国より伝はる
戦争元来我が意にあらず
ただ皇礎の千載の堅きを期せん
平和条約たちまち締結
皇国の威名乾坤を震わす
朝野士民の歓び何の極みぞ
万歳高呼し山川を動かす
畢竟軍人は一死を決し
或いは敵弾を侵し或いは砲煙を
皆勇進を知り退くを知らず
連戦連勝まったくその功
任務を完了し郷里に帰る
村民抃舞して凱旋を迎ふ
この如き偉勲に何を以って謝するぞ
誠意捧来す詩一篇

 


「一篇の詩」と謙遜するには少々長すぎるようである。
 とは言え、お国を守る義務を果たして漸く郷里に凱旋出来る兵士の労を言祝ぐのだ。
 これでもまだ短すぎるほどなのだろう。

 

 

井上円了: その哲学・思想

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