日本人はユーモアセンスの欠落した民族である。そんな指摘を事あるごとに耳にするが、私はこれに賛同できない。
何故なら、川柳というものがある。
痛烈骨を刺す諷刺をたった十七文字に凝縮させて、しかも軽妙洒脱な爽快さを失わない川柳という文芸は、まったく古今東西他に類を見ぬ特異な芸術であるだろう。まさに頂門の一針だ。
今回は江戸時代に出版されていた川柳句集、『柳樽』の中から、個人的に秀逸と感じたものをいくつか選んで紹介したい。
江戸時代の壁ドンである。
今ではこの言葉もすっかり意味が変わったが、もともとはアパートなどの集合住宅に於いて、壁の薄さも憚らず、桃色遊戯に耽ってやまない男女に対し、憤懣やるかたない独り身者が抗議と警告の意を籠めて壁をぶん殴る行為であった。
ここに描かれている情景は、そうした本来の「壁ドン」の意に即したものだ。
一々解説する気にもなれない。
バカップルというやつは、いつの時代も存在するものらしい。
親バカもまた同様だ。
親は決まって、我が子の値打ちを実際以上に買い被る。
わが好かぬ 男の
真渓涙骨によれば、「本人が選んだ恋人は親から見れば『虫』であり、親の選んだ配偶者の多くは『人形』とされる」のだそうだ。
文を見せられた母は、大慌てで「害虫駆除」に勤しんでくれることだろう。
まこと、妙を得た対処といっていい。
当時のいろはカルタに「律義者の子沢山」なる札がある。
浮気もしないが甲斐性もない、毎日同じように朝から晩まで働いて、次から次へと女房に子供を産ませる男の姿が描かれたものだ。
ある意味吉良吉影の理想に近い、そんな生き方をする男性は、しかし江戸っ子の気質からするとあまり美しいものでなく、
このように悪友から火遊びを勧められることも屡々だったようである。なんだおめえ、びくびくするねえ、見苦しい。女郎買いこそ男の甲斐性じゃあねえか、ナーニ文句を言うかかあなんぞは追い出しちまえ。……
これもまた、真面目な男を皮肉ったもの。
この筆法でいくならば、二代将軍・徳川秀忠公などは、よほどの金貨を蔵に積み上げたに違いない。
この、人がいいだけが取り柄の家康公の三男が、その正室たるお江夫人を怖れたこと、馬が鞭を怖れるよりなお甚だしかったのは周知の通りなのだから。
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