分ちかねけり
ますらをは弓矢のほかの憂き日にも
国を念ひて心揺らがじ
皇国ののちの栄えを祈りつつ
御勅かしこみ処刑場に立つ
国の為つくせし事のあだ花と
散り行く我はあはれなりけり
戦後、イギリス軍によって抑留された日本兵の証言としては、会田雄次氏の『アーロン収容所』が殊に名高い。氏は本書の中で度々食糧事情についても触れており、例えばペグー北方の某収容所では、
やっと英軍から食料が支給されたが、それは米の粉だけであった。米にして一日一合に足りない。
「こうして働けん奴殺しといて、残った丈夫で働ける奴だけ使うのとちがうか」
とK兵長は言った。そこまで英軍は考えていたかどうか。しかし結果はそういうことになった。(36頁)
また、そこからアーロン収容所に移されて以降は、
私たちの食事に供された米はビルマの下等米であった。砕米で、しかもひどく臭い米であった。飢えている間はそれでよかったが、ちょっと腹がふくれてくると、食べられたものではない。その上ある時期にはやたらに砂が多く、三割ぐらい泥と砂の場合もあった。私たちは歯はこわすし、下痢はするし散々な目に会い、とうとう日本軍司令部に対し英軍へ抗議してくれと申しこんだ。
その結果を聞きに行った小隊長は、やがてカンカンになって帰ってきた。英軍の返答は、「日本軍に支給している米は、当ビルマにおいて、家畜飼料として使用し、なんら害なきものである」であった。それもいやがらせの答ではない。英軍の担当者は真面目に不審そうに、そして真剣にこう答えたそうである。(69頁)
こうした数々の経験から、著者は「ヨーロッパ人は人間と動物との境界を、ずいぶん身勝手なところで設定する」との考えを抱くようになる。
ましてや戦犯容疑者に対しての扱いは、これ以上に苛酷を極めた。
「汁粥の乏しき糧に身は細り」という山田曹長の表現は、むしろ控え目に過ぎるだろう。
栄養失調で思考力も低下していたろうに、よくこれだけの詩を詠めたものだと脱帽する以外ない。
負けるとはこういうこと、敵に自分の運命を委ねるとはこういう結果を招くのだ。戦後生まれの我々は、この事実をこそ確と胸に刻んでおく必要がある。
「死ぬぐらいならさっさと降伏した方がマシ」などと、決して軽々しく口にしていい言葉ではない。降伏した結果、
――こんなことなら銃を棄てずに、戦って死んでおくべきだった。
と、収容所の天を睨みつつ、無念にも朽ち果てて逝った日本兵が数知れぬほど在ったのだから。
かかれる雲を吹き飛ばすまで
遺骨なき英霊ありしに比ぶれば
我が妻子等は幸なるか
鉄窓にさす月影の如清らかに
心もすみて明日をしぞ待つ
万葉精神こそ日本精神と信じた牛山大尉は、それだけに数多くの詩を遺した。
『万葉集』を愛し、戦場にまで携行し、捕虜となっても手離さなかった牛山大尉。暗黒の監獄生活にさしたその一筋の光明に、大尉はほとんど帰依する想いになっていたに違いない。
いつか映ゆらん山桜花
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