穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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暑中雑考

 

 暑い。


 まだ梅雨時にすら入ってないのに、むごたらしいまでのこの暑さときたらなんであろう。


 七月八月に30℃を超えても別にどうとも思わぬが、五月に30℃を突破されるとなにやら絶望的な感に打たれる。
 時ならぬ実を食うてはならぬという迷信的な用心深さが、私の中にもあるのだろうか?


 とまれかくまれ、こうも暑い日々が続くと脳が頭蓋骨の中で白っぽく茹であがってしまったようで、思考能力があからさまに低下する。たったこれだけの短い文章を打ち込むのに、既に一〇回以上もタイプミスをしていることがそれを証拠立てるだろう。


 思索はちぎれ雲のような断片ばかりでとりとめもない。


 ならばそのとりとめのないことを、とりとめのないままに、つらつらと書き綴ってみるのもいいだろう。


 この熱気に、まず思うのはあの歌である。江戸時代の俳諧師宝井其角が詠んだと云う、

 

夕涼み よくぞ男に 生まれけり


 の十七文字だ。


 褌一丁になって縁側に腰かけ、露になった皮膚をうちわで扇いで涼を得て、誰に憚ることもなく堂々としていられるのは確かに男たるの醍醐味だろう。
 江戸っ子の粋をよく表したいい歌である。
 これを性差別だなんだとほざく野暮天とは、私は口もききたくない。

 

 

Takarai Kikaku

Wikipediaより、宝井其角

 


 郷里山梨からは、桃の袋掛けに滝のような汗を流しているとの報せが入る。


 そも、山梨とは夏は猛暑冬は極寒という、人間をいじめ抜くために神が態々拵えたとしか思えぬ土地だ。
 併せて冬は乾燥もひどい。この前正月に帰省した際などは、三日足らずでもう顔面が粉を吹き、どうにもならない疼痛に悩まされる破目になってしまった。


 山脈一枚隔てた先の静岡とは、まさに天国と地獄に等しい差異といっていい。


 だからこそ甲斐の兵は強く、安らげる土地を求めて屡々四方を蚕食しもしたのだが。

 今川の勢力を駆逐して我がものとなった駿河湾を見下ろしたとき、信玄の胸にこみ上げた感慨たるや無量だったに違いない。


 そういえば、そろそろ田植えの時期でもあるのか。


 信玄の好敵手たる上杉謙信が根を張った北陸地方の某所では、かつて田植えの時期になると、手伝いに雇われる女たちのことを「そうため」と呼びならわしていたと云う。


「おまん今年はどこへそうため・・・・に行くえ?」


 とか、


そうため・・・・衆、さあもう正午ひるあがりにしますべえか」


 といった掛け合いが、そこかしこから毎日のように聞こえたそうだ。この「そうため」の語源は一般に「早乙女」の転訛したものであると考えられ、如何にもたおやかな、味わい深い響きだったとか。

 

 

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 もっとも大正期以降、所謂「新しい女」などの出現と共に草深い田舎の娘たちの心にまで都会への憧れがいやましてくると、自然百姓仕事に対する嫌忌の念も盛り上がり、「そうため」の姿は順次減少していった。


「こんな調子で、一〇年二〇年後はどうなるだかね?」


 と、当時の古老たちは顔付き合せて嘆いたそうだが、どっこい科学の恩恵とは大したもので、機械力の発達がこの心配を見事杞憂にしてくれた。


 今では手作業での田植えなど、半ば伝統芸能と化しつつある。
 農村も変われば変わるものだ。

 

 

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 そういえば、やはり大正のなかごろに盛んになった政府の農村匡救策を批判して、とある篤農家が


「もともと百姓がいやに役人や教師になった人達に、なんで本当の勧農が出来るものですか」


 と毒づいていたのを思い出した。
 以前記した百姓の、偏執的なまでの保守精神の実例ともなるべき台詞であろう。
 そうでなくとも、百姓はもともと特別意識が非常に強い。江戸時代の昔から、


 ――米の一粒も作らんくせに。


 と、暗に武士を見下して来ただけのことはある。


 稲作を一種神聖な行為と捉え、それに従事する自分達をもまた特別な存在として位置付けるこの特性は、古くは大和朝廷が、稲作を以って王化としてきたところに淵源を発する、日本独自の精神風土ではなかろうか。


 ああ、それにしても暑いことだ。

 

 

  

 

 


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