いくつになっても美しい女性というのは居る。確かに地上に実在している。
が、そうであっても少女時代の美しさと淑女時代の美しさは違う。同一人物上であっても、まるで別個の性質だ。
齢と共に変わりゆく、女性というものの美しさ。万華鏡の如きその一連の転変を、七五調で以って情感たっぷりに謳い上げたのがこの『刹那生滅頌』である。
作者である杉村楚人冠はこの
どう検索してもアグネス・チャンとか、さもなければ電燈の型番ばかりがヒットするのだ。我が力不足を遺憾とする。
わかったのは、「頌」の読み方程度だ。
ショウと読む。
人の美徳をほめたたえた詩歌のことを指すそうだ。
生涯を通して美しくあり続けた女性を詠ったこの作品の題名に、ぴったりな文字といっていい。
母が
いたいけき手に
握りて
茜の帯に
野に咲く花の一ふさを
かざして笑める時にこそ、
汝を美はしと思ひしか。
恋に乱るるこころをば、
よそへて笑める時にこそ、
汝を美はしと思ひしか。
恋ひにし人にとつぎ来て、
朝な夕なにむつごとを、
かはして笑める時にこそ、
汝を美はしと思ひしか。
母に
いとし子めづる時にしも、
はしため
病めるをみとる時にしも、
貧しきをかばふ時にしも、
とはにつきせぬまごころの、
なれが
汝を美はしと思ひにき。
齢がかたむく
頭はおける霜のごと、
腰は梓の弓ににて、
いにし日の美は失せつれど、
人の心の清からば、
人の情けの厚からば、
くしき姿ののこりてや、
汝を美はしと思ひてき。
さはれ汝が身が白妙の、
清き
名の
利の
浮世のうきも冒し得ず、
塵の巷のちりも見ず、
眼に美醜の別をとぢ、
口に正邪の差を結び、
汝が美はしさは高かりき。
(『楚人冠全集 第一巻』104~107頁)
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