唐土に飢餓は稀有でない。
ぜんぜんまったくこれっぽっちも珍しからぬ現象だ。
定期的に
なんといっても、罹災民は三千万だ。
(支那の田舎の市場の様子)
どうせいつもの誇大広告、実数はだいぶ落ちるだろうが、たとえ十分の一だとしても三百万人、相当以上の数である。
どこからどう手を付ければ良いのか、想像するだに目が回る。おまけにこの罹災民の群れの中からコレラ患者が発生し、ために「防疫」を名目に列車の動きが停止され、彼らは飢餓のドン底帯から逃げることすら叶わなくなり、パニックにますます拍車をかけた。
阿鼻叫喚は実に素早く、日本社会に反響している。
特派員だの大陸浪人だのの手で、
「直隷省鹽山慶雲両県は今春来の旱魃と之に次ぐ戦乱の為め食糧欠乏し人民は飢餓に苦しみ木葉を蒸して喰ひ或は狗の肉を喫し居たるも此れさへ既に欠乏するに至り遂に獣皮を剥ぎて喰ふ状態に陥れり、光緒三年の飢餓には人肉を食むに至りしが今回も今に及んで救済する所なくんば再び当年の惨状を見るべし」
こんな報せが毎日毎日、引きも切らずに届けられた所為だった。
古くからの
(フリーゲーム『おぼつかぐら』より)
八大地獄を探せども、ここまで酷い情景は滅多にお目にかかれまい。
――なんということだ。
ひとしきり血の気を引かせたあとは、
――隣邦として血の通った人として、坐して眺めて居られるか。
必然、義捐だの救恤だのと、そういう騒ぎが持ち上がる。
当時の彼の著述に曰く、
「…富豪連は政府から指図でもなければ到底動くまい、彼等が自発的に何かやった事があるか、尼港事件の寄附金さへ中流以下の人ばかりで上流階級は誠に冷淡であった、尤も寄附金の使途に就て疑った人もないではなかったが、何れにしてもあれ程の事件に対してさへ一顧も与へぬと言ふ態度は彼等の心理を物語るものではあるまいか」――募金に必ず付き纏う、主催団体の着服疑惑。人の善意を食い物にする寄生虫の息遣い、暗雲漂う不快さは、大正時代、もう既に。――「今度の民国災害も近年にない大惨状を呈し現に在日学生中送金を断たれて苦しんでゐる者が少くない、僕等の処にさへ相談に来る位である、政府の指図がなければ動かぬ富豪の事だから今度とて到底満足な救済は出来まいが少くともこれ等気の毒な学生丈けなりとも救って安んじて勉学し得るやうに丈けはしてやりたいものである」
志は高潔であり、立派と呼ぶに異議はない。
だがしかし吉野作造よ、血圧を上げる前にまず、君のところへ相談に来た「在日学生中送金を断たれて苦しんでゐる者」、彼等が本当に一人残らず送金を断たれているものか、是非とも真偽を確かめてくれ。
「凡そ人間事を為すに当り千安万全を期するには、先づ其相手を悪人と見做して反対の側より観察を下し、鵜の目、鷹の目、容子を見抜きて、然る後に進退を決すること肝要」と、福澤諭吉先生も忠告してくれている。猜疑はまったく、人生の必需品なのだ。発動させるに罪悪感は不必要。
彼らの中にただの一人もこの機に乗じて不当な施しを得んとする、欲の皮の突っ張った下衆野郎が居ないとは、
(揚子江岸の集落)
そうした意味では吉野より、福澤の方が千倍も支那人をよく知っていた。
いったい福澤の盛時にも規模の大きな天災が支那を襲ったことがあり、その際先生、筆を動かし、『時事新報』に載せた意見が凄まじい。
「先年支那国が飢饉なりとて、日本の慈善連中が大いに之を頭痛に
流石過ぎるとしか言いようがない。
漢民族のあしらい方を、あまりに知悉した態度。
(左から二番目に福澤諭吉)
思想家として、経世家として、否、それ以前に人間としての深みに於いて、吉野は遠く福澤に及んでいないようだった。
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