穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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尾崎行雄、敵愾の詩

 

 先日の記事補遺として、書く。
 尾崎行雄咢堂は、やはり異常人であるようだ。

 

 

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 通常、日本人というものは、死者の悪口をあまり言わない。


 死なばみな仏という意識が自然にあって、生前のあれこれは水に流そうという気分がはたらく。


 ところが咢堂に限っては、いったん憎しみを抱いた以上、相手が灰になっても憎み抜く、異様な執念深さがあった。不倶戴天と定めた二人の男――桂太郎袁世凱――に対しては、死後何年経とうとも、

 

 

今ごろは袁も桂も地獄にて
鬼を相手にニコポンやする

 


 こういう詩をわざわざ作って攻撃の手を緩めていない。
 いとも無造作に両人を地獄に堕としているあたり、彼の感情の鋭さをよく表しているだろう。


 まったくカミツキガメよりしつこい男だ。


 更に咢堂は筆を進めて、

 


 両人は得意のニコポン術を以て、地獄の鬼共を手なづけ、予の来獄を待って、復讐する積りかも知れないが、予の如く碌な悪事も為し得ない意気地なしは、たぶん地獄には行かずして、天道に行くだらう。(『咢堂漫談』117頁)

 


 ざまあみろ、と嘲笑う顔が目に浮かぶようだ。
 そしてトドメの三十一文字みそひともじである。

 

 

あな笑止鬼語らひて待つとても
我には逢はじ道のちがへば

 


 尾崎行雄は、1954年10月6日まで生きた。
 享年95歳。その前年の94歳まで、現役の衆議院議員であり続けたという。

 

 

 

 

 

 
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