穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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『殉国憲兵の遺書』辞世撰集 ―英国編・其之弐―

 


新世あらたよを固めなすべく吾も今
戦友ともを慕ひてなき数に入る

仇風に露とぬるはいとはねど
心にかかる妻の行末

たよるべき杖と柱を失ひし
いとし妻子の道は険しき

われ逝きて妻のはぐくむ一人児を
護りましませ天地の神

わが妻の哭きになき伏す姿見え
わが筆も哭き枯れて進まず
(陸軍憲兵少尉中山伊作、ラングーンに於いて刑死、享年38歳)

 


ポツダム宣言履行の為に、又日本再建の一礎石として将又、世界人類の幸福の為に又、八千万を生かすために死ぬことは、永遠に生きる事だ。死ぬべき時、死ぬる事はほんとうに生きる事だ。天は今われに死ねと命ぜられたのである。今こそ死すべき時であらう。判決以来多くの戦友から多大の同情を寄せられ、又惜しまれる中に散り逝くことは、まこと に嬉しくもあり、又有難いことだと思ふ。感謝してゐる。」


 下された死刑判決に対して斯様に向き合い、あくまで毅然とした姿勢を崩さなかった中山少尉も遺される妻と我が児を想う時、流石に心は千々に乱れざるを得なかったらしい。彼の遺詠の大半が、妻子の哀れさと行く末安らけきと祈ったものである事実を見ても明らかだ。

 望郷の念、如何ばかりか。到底想像の及ぶ域ではない。


 伊藤正徳はその名著、帝国陸軍の最後』の冒頭に於いて、

 


 太平洋戦争で戦死した百四十三万九千人の陸軍将兵は、道楽で死んだのではない。お国のために、民族のために、命令を奉じて出陣し、遠い外地で自分の尊い生命を犠牲にしたものである。
 戦争を発起した少数の軍閥は憎んで余りあるけれども、その結果として自己の最高のものをなげうった百四十余万人の霊は、国民的に敬弔されねばならない。

 


 と書いている。
 結局のところ、後世からあの戦争を振り返った場合にとるべき態度の、これが最適解なのだろう。

 
 

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とつくにの涯に散るとも益良夫は
名こそ止めて悔を止めず

現し世に果し終らぬ殉忠を
死出の旅路に背負ひ行くらん
(陸軍憲兵准尉岩城喬、ラングーンに於いて刑死、享年29歳)

 


今にみよ我は護国の火となりて
おごるえびすを焼き払わんぞ

東風吹かば聞きてぞ見なむ日の本の
聖の君のいかにおはすや

蔭膳を供へて待たるる父母は
今日の処刑をいかに聞くらん

君が代の千代に八千代と祈りつつ
我は立たなむ処刑の庭に
(陸軍憲兵曹長加藤広明、ラングーンに於いて刑死、享年29歳)

 


つぎの世も君が御楯と生れきて
驕る夷らうちはらはなむ

盡せども尚励めども我がつとめ
果せる事のなかりけるかな
(陸軍憲兵大尉松岡憲郎、ラングーンに於いて刑死、享年32歳)

 

 

 それにしても、「自己の最高のものをなげうった」にも拘らず、「まだ御奉公がし足りない」と大真面目に叫ぶこの人たちの精神力はなにごとであろう。

 人界の奇蹟といっていい。ただただ圧倒されるばかりである。


七生報国の四文字は、彼らにとって決して実感の伴わぬ、そらぞらしいスローガンなどではなかったのだ。

 

 

帝国陸軍の最後〈1〉進攻篇 (光人社NF文庫)

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