仇風に露と
心にかかる妻の行末
たよるべき杖と柱を失ひし
いとし妻子の道は険しき
われ逝きて妻のはぐくむ一人児を
護りましませ天地の神
「ポツダム宣言履行の為に、又日本再建の一礎石として将又、世界人類の幸福の為に又、八千万を生かすために死ぬことは、永遠に生きる事だ。死ぬべき時、死ぬる事はほんとうに生きる事だ。天は今われに死ねと命ぜられたのである。今こそ死すべき時であらう。判決以来多くの戦友から多大の同情を寄せられ、又惜しまれる中に散り逝くことは、
下された死刑判決に対して斯様に向き合い、あくまで毅然とした姿勢を崩さなかった中山少尉も遺される妻と我が児を想う時、流石に心は千々に乱れざるを得なかったらしい。彼の遺詠の大半が、妻子の哀れさと行く末安らけきと祈ったものである事実を見ても明らかだ。
望郷の念、如何ばかりか。到底想像の及ぶ域ではない。
太平洋戦争で戦死した百四十三万九千人の陸軍将兵は、道楽で死んだのではない。お国のために、民族のために、命令を奉じて出陣し、遠い外地で自分の尊い生命を犠牲にしたものである。
戦争を発起した少数の軍閥は憎んで余りあるけれども、その結果として自己の最高のものをなげうった百四十余万人の霊は、国民的に敬弔されねばならない。
と書いている。
結局のところ、後世からあの戦争を振り返った場合にとるべき態度の、これが最適解なのだろう。
とつくにの涯に散るとも益良夫は
名こそ止めて悔を止めず
今にみよ我は護国の火となりて
おごる
東風吹かば聞きてぞ見なむ日の本の
聖の君のいかにおはすや
蔭膳を供へて待たるる父母は
今日の処刑をいかに聞くらん
つぎの世も君が御楯と生れきて
驕る夷らうちはらはなむ
それにしても、「自己の最高のものをなげうった」にも拘らず、「まだ御奉公がし足りない」と大真面目に叫ぶこの人たちの精神力はなにごとであろう。
人界の奇蹟といっていい。ただただ圧倒されるばかりである。
「七生報国」の四文字は、彼らにとって決して実感の伴わぬ、そらぞらしいスローガンなどではなかったのだ。
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