穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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敵意の大地に種を蒔く


 維新以後、大和島根に文明国家を建てるため、大日本帝国はドイツを大いに範とした。


 なかんずく、医療と軍事の両面で、その傾向が顕著であった。


 田代義徳、佐藤三吉、入沢達吉、長井長吉、金杉英五郎、朝倉文三鶴見三三、大沢岳太郎、そしてもちろん北里柴三郎。――「医」の方面に限っても、独国留学経験者たるや千人の大台を突破する。大正三年八月二十三日までの――欧州大戦勃発し、日本がドイツに宣戦布告を突き付けて、一度関係が破綻するまでの期間に於いてもう既に、だ。

 

 

(実験動物――兎の耳への静脈注射)

 


 ドイツのめしを喰い、

 ドイツの水を飲み、

 ドイツの空気を呼吸して、

 ドイツの紳士淑女と交際まじわり、

 ドイツ語で叡智を涵養やしなった、

 これら千人の医師たちは、如何に敵対したとはいえど、そういうドイツに悪感情を抱くことまで、ちょっと、流石に、無理だった。


 内心、どうにか軟着陸をと祈願してさえ居ただろう。


 従って、講和会議が決着すると彼らはただちに腰を上げ、ドイツ復興に一助を添えんと協力姿勢をとっている。具体的には、寄附を募った。

 

 

(伝染病研究所)

 


 大沢岳太郎、田代義徳教授あたりが主軸となって、カネを集めていたらしい。少なからぬ金額が、海の向こうへ送られた。


 すると、さして間を置かず――。


 実に意外なあたりから、彼らの「義挙」に文句をつける奴が出た。


 連合国なのである。


 フランス、ベルギー、――大戦中に特にドイツにこっぴどくやっつけられたこの二ヶ国を筆頭に、戦勝国の面々が。非公式ながら外交ルートを通じてまで、態々圧を掛けに来た。

 


「連合国も等しく戦後の悲惨な状態にあるのにそれ等に対しては同情の表示がドイツ程にない、このことは日本国民の為に惜しむべき態度である」

 


 上の如きが、つまり彼らの主張であった。


 主張というより、泣き言、愚痴の類であるか。


 医師たちは唖然としたという。

 

 

第一次世界大戦、仏軍、砲兵隊)

 


 怒る、慌てる以前の問題。彼らにはそも、この難癖が、正気の沙汰とは思えなかった。


 ――なんということだ。
 ――よもや、乞食ほいとでもあるまいに。


 仮にも列強と呼ばれる者が、まさかそんなみみっちい、ケツの穴の小さいことを、と。


 信じられない思いに打たれ、思考回路が半ば麻痺。現実を拒否するかの如く、ひたすらかぶりを振っていた。


 だが、俗界の愚劣さは、往々にして碩学どもの想像力の限界を、いとも容易くぶっちぎる。


 だいたい時を同じゅうし、横浜にてはやはり連合国系の駐留外国商人たちが、


「ドイツ商品を使用せぬ」
「ドイツ商人の店からは品物を買はぬ」
「ドイツ人所有の家屋には居住せぬ」


 排独熱に満ち満ちた、こういう密かな取り決めを、締結、握手し合っていた。


 戦前みたく、再び商業戦線上にドイツ人らが活躍するのを防止するのが目的である。


 ドイツ経済がある程度まで復活してくれない限り、賠償金を取り立てるにも術がなくなる筈なのに。――そういう配慮は彼らの脳から、綺麗さっぱり宇宙の涯てまでぶっ飛びきっていたようだ。

 

 

(フランス、廃墟と化した街)

 


 大正九年十月十九日付けの、『東京朝日新聞などはもう堪らない。

 


協商国大使会議がドイツ各地にある強力なるディーゼル発動機を武器と看做し是が全部の破壊を遂行すべしとの決議を通過するに対し、ドイツ政府はドイツ工業の殆ど全部は石炭の欠乏とディーゼル発動機を使用する工場の復旧を要する為驚くべき衰退を来し、無数の工場は為に閉鎖しつゝありと抗議したり」

 


 明らかにこれはドイツに対し、死ねと迫ったものだろう。


 文明以前の未開状態に戻れとの、大袈裟に言えばそういう意図に立っている。


 これでドイツの人々が、


 ――今に見ていろ、次こそは。


 と念願せねば、それこそ嘘に違いない。


 次の戦争に於いてこそ、連合国の畜生めらを残らずぶち殺してやる。一木一草悉く、奴らの国土を奴らの血潮で染め上げてやる。復讐戦こいねがわねば、もはや彼らは玉無しだ。

 

 

 


 ドイツ人には立派な睾丸タマが付いていた。


 なればこそ彼らは鉤十字を仰ぎ見て、戦慄すべき進軍を再び開始できたのだ。


 一九三九年四月二十八日、ベルリン、クロルオーパーにて。総統アドルフ・ヒトラーは、こんなことを言っている。

 


「余は現在数億の人間が、絶えず戦争の危機を感じてゐると云ふルーズヴェルト大統領の見解を十分了解する。余は之に対して人類は常に戦争の脅威に満たされてゐたではないかと答へたい。この事実を證明するにはさして遠く歴史を遡る必要はない。一九一九年より一九三八年に至る間に十四の戦争が闘はれた。ドイツはそのいづれにも加はらなかったが、ルーズヴェルト大統領が特に擁護してゐる西半球の諸国は参加した。
 この期間には更に二十六回の武力干渉及残虐な制裁が行はれたがドイツは之にも加はらなかった。米国だけの例を見ても、一九一八年以来六回の武力干渉を行って居り、同じ時期にソ連は十回戦争に参加し、その野蛮行為に至っては枚挙に遑がない。ドイツは之等の事件のいづれにも参加せず、又その原因を作った例もない」

 

 

 


 蓋し名演説だった。

 

 

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