九歳の少年が絞首刑に処せられた。
一八三三年、イギリスに於ける沙汰である。
罪は窃盗。よその家の窓を割り、保管されていたペンキを
被害総額、当時の価格でおよそ二ペンス。たった二ペンスの報いのために、前途にきっと待っていたろう何十年もの未来ごと、幼い身体を吊られたわけだ。
深く考えるまでもなく、間尺に合わぬことである。
ドイツのとある青年は、恋人と抱擁した所為で心臓が破れる憂き目に遭った。
熱烈な恋の
なんでも彼女のコルセットに裁縫用のピンがささったままであり、僕の腕に飛び込んでおいでをやった際、運悪くその尖端が肋骨の合間をくぐり抜け、彼の心臓を瓜の如く貫いてしまったものらしい。
むろん青年は死亡した。
そういう因果が判明したのは、解剖して漸くのこと。
現場で女はわけもわからず、半狂乱で泣き叫んだに違いない。
よしんば事情を知ったところで、それが慰めになるのか、どうか。むしろ、却って、妙な具合いのトラウマを植え付けられそうである。今後一切、コルセットなど身に纏いたくないだろう。
男が男を葬った。
「あの野郎、俺の女と寝やがって」
それが動機のすべてであった。
ごくありふれた事件であろう。まあ、そうなるなとしか言いようがない。下劣畜生下衆下根・寝取り野郎の首をちょん斬り、心臓をえぐり出したくなるのは人として当然の衝動だ。
むしろ死体の生産を一つで踏みとどまっただけ――女も殺して「重ねて四つ」にしなかっただけ――理性的とすら呼べる。
ただ、問題は、場所だった。
それとついでに国籍か。
被害者はロビンソンなる英人であり。
加害者はヘザリントンなる合衆国の海軍軍人。
場所は横浜、押しも押されぬ日本国の表玄関。時あたかも明治二十五年であった。
これらの要素が組み合わさって本来シンプルであるはずの事態を無用にややこしくさせ、結果本件は「ロビンソン銃殺事件」などという仰々しい名を冠せられ、遙か後世に至るまで語り継がれる破目になる。
――頼むから他所でやってくれ。
というのが、この問題を処理せざるを得なかった、本邦当局者全員の密かな叫びであったろう。
なお、中間はぜんぶ省いて結論だけ記しておくと、ヘザリントン氏は無罪放免の判決を得て、悠々娑婆へと復帰する。
彼の妻とロビンソンとの密通が、裁判所にて明確に立証されたためだった。
正当なる報復に、罰が下されるわけもなし。桜田親義を射殺したジーン・ロレッタの判例を、なぞるが如きであったろう。
「馬小屋の糞堆藁屑などの中は夏期は摂氏四十五度位になって居て初生児死体を之に埋めると二十四時間で皮膚が煮た様になり、之を取り出さうとするとバラバラになったといふ報告がある」――昭和十二年、浅田一著『最新法医学』よりの引用。
さりげない調子で書かれているが、そもそもなんでそんな処に、そんなモノを埋めたのだ?
死産したのか? 不義の子か? 背景を考えると堪らなくなる。
実際問題、十九世紀のドイツでは、豚飼いの娘が産んだばかりの私生児を、豚に喰わせて隠滅せんと試みたという途轍もない例がある。
ちょっと前の日本でも、赤ん坊をトイレで出産、窓から投げ捨て殺してしまった事件があった。
理不尽の極みに違いない。「望まれぬ誕生」は、あまりに惨だ。
「プロシャの古い法律では半陰陽の生まれし時両親は之を男女の何れかにきめて養育し、十八歳後は自分で男女の何れかになってもよいが、其同胞の権利が其決定によって脅されるに於ては之を鑑定によって決定さすべく裁判所へ訴へることが出来、其鑑定の結果は半陰陽者や其両親の反対があっても頓着なしに決定的となるといふ風に規定されてゐたが一九〇〇年改正のドイツ民法以後には半陰陽の語がない」――これまた『最新法医学』より。
一周まわって、先進的な規定でないか。
性自認だのLGBTだの何のかんのでやかましい今日の時勢に、なかなか優れた「他山の石」となる筈だ。特にそう、「其同胞の権利が其決定によって脅されるに於ては」云々の
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