穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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ごった煮撰集 ―月の初めの「ネタ供養」―

 

 

金を散ずるは易く、金を用ゐるは難し。
金を用ゐるは易く、人を用ゐるは難し。
人を圧するは易く、人を服するは難し。

 


 大町桂月の筆による。


 短いながらも、登張竹風に「国文をたていととし漢文をよこいととして成ってゐる」と分析された、桂月一個の特徴的な文体を、よく表徴したものだろう。


 先日の記事に盛り込もうかと思ったが、ついに適当な場所がなく、お蔵入りを余儀なくされた。


 で、改めて「蔵」の中を見廻すと。――どうもこういう、いずれ使おうとぶち込んだまま、ついに機会を見出せず、いたずらに時を重ねてしまった標語詩句の類というのが、結構な数に上っている。

 

 このまま後生大事に抱えていても、ついに日の目を見せてやれる気がしない。


 ラストエリクサー症候群と似たような気配を感じるのだ。


 そこで今回、思い切って放出に踏み切ることにした。一貫したテーマの存在しない、まさに「ごった煮」そのものだが。それでも個々の素材は間違いなく一級品を撰んだと、胸を張って言い切れる。


 しばしお付き合いを願いたい。

 

 

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山形県酒田市米蔵、山居倉庫。昭和初期撮影)

 

 

是非宮本武蔵先生ニ私淑セヨ。
是非清正公ニ没入セヨ。
是非菊池一族ニ帰一セヨ。
是非阿蘇雄大ニ同化セヨ。
是非大西郷ノきん玉ヲ握レ。

 


 熊本陸軍幼年学校集会所、その壁掛けに墨痕淋漓と記してあったという標語。


 なんでも出身将校からの寄せ書きだとか。


 同校は熊本城内の一角に置かれていたと聞き及ぶ。


 西南戦争の焦点がひとつ、五十二日の籠城戦。最後のユーモラスな一行は、つまりそういうことなのだろう。

 

 

Kumamoto Castle oldphoto 1874

Wikipediaより、明治初期の熊本城)

 

 

朝の一杯不老長寿、
昼の一杯価千金、
夕の一杯無上快楽。

 


 神田同朋町に戦前存在したという、呑み屋「酒場新助」は、店内の壁の一辺にそれは大きな鏡を据え付け、名物とし、好評を博していたという。


 上の標語は、その鏡面にこれまた大きく描かれていたとされるもの。


 書き手の、すなわち店長の人柄が躍如としている。なるほど彼の注ぐ酒は、さぞかし美味かったに違いない。

 

 

白妙に
粧ひし君が
姿をば
映して寒く
三日月の池

 


 明治の元勲・井上馨


 その気性の荒さから雷親父と恐れられ、さんざん周囲を手こずらせた彼の人が、山梨県屈指の景勝の地・山中湖を訪れた際に詠んだもの。


 富士が初冠雪を迎えたこんにち、よく時宜を得た詩だろう。

 

 

Mt.Fuji from Mt.Teppoginoatama 20

Wikipediaより、山中湖と富士山)

 


 時宜を得るといえば、ついでにこれも引いておきたい。


 英国王エドワード八世が「恋に殉じて」、在位わずか三百二十五日の短きにして退位の運びとなった際。


 英国王は離婚歴のある女性を妻に出来ない仕来りにも拘らず、二度の離婚歴を有するウォリス夫人と結婚するため、王冠を投げ出した息子に対し、母たるメアリー皇太后は親書を与え、その中でこう述べている。

 


 あなたはあなたが人に与えたショックがわかっておられないと思う。戦争中あれほどの犠牲に堪えた人々は、その人々の王であるあなたが、それよりも小さい犠牲を忍ぶのを拒むとは、考えられないことなのです。
 私には、終生私の国が何よりも先きでした。それを変えることはどうしても出来ません。

 

 

Queenmaryformalportrait edit3

Wikipediaより、メアリー・オブ・テック)

 

 

 この一節を以ってして「悲痛なる母の嘆きの言葉であり、そうしてまた、一国の国母たる人の言葉である」と激賞したのが小泉信三


 彼は云う、「『私は何時でも、私の国を何よりも先きにして来ました』とは、ちがった境遇にあるものの口には上らない言葉である。例えば、三年前、五年前に選挙された大統領の妻、あるいは一党独裁国の党書記長の妻は、このようにはいわないであろう。よし仮にいっても、真実な、自然のひびきを持たないであろう。
 党を超え、階級を超えた、国の利害と栄辱が問題となるとき、それをもっとも自然に、直接に感ずるものは、伝統ある国の世襲君主を第一とする。それは今日吾々も記憶しなければならぬことであると。

 

 サッチャー然り、エリザベス然り。


 英国の女性はまったく強い。


 ついでに補足しておくと、エドワード八世のスキャンダルが発生したのは1936年


 従って文中の「戦争中」とは、欧州大戦――第一次世界大戦を指している。

 

 

Bundesarchiv Bild 102-13538, Edward Herzog von Windsor

Wikipediaより、1932年のエドワード)

 

 

大丈夫
故郷の空
今還る

 


 戦死者を悼むための詩。

 

 

赤松の
幹の色さへ
温かき
わが故郷ふるさと
帰り来にけり

 


 戦地から生還した者の詩。

 

 

からからと
ニーチェ笑ふや
春の風

 


 こちらは登張竹風の作。


 ニーチェを日本に紹介した第一号の彼なればこそ、およそ平々凡々なこの句にも特別な可笑しみが宿せるだろう。


 竹風といえば、私の手元の『遊戯三昧』見返しにはこんな書き込みが施されていた。

 

 

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敬贈
 竹馬国時
    竹風生(印)

 


 と読めばいいのか。


 著者直筆の署名入り。ラクラする。なんと蠱惑的な響きだろうか。


 おそらくは登張竹風が、「国時」なる幼友達に贈ったものか。本書が初版であることも、この予想を裏付ける。

 

 

 

 

 

 

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