前回の記事に追記する。
明治十五年度に於けるオットセイの総捕獲量が
その数、実に二万七百匹以上。剥がれた皮の枚数のみに限定してさえコレだから、実態としてはもう幾ばくか上乗せされることだろう。大漁、豊漁、「当たり年」とはよくも言ったり。冒険的な外国漁船の跳梁で、日本の北の海獣はまさに虐殺されたのだ。
「忌々しい毛唐めが。やつら、程度を弁えぬ」
「人の庭先で好き放題しおってからに。もはや一刻の猶予もならぬぞ」
加減を知らぬ根こそぎぶりに、政府も胆を潰したか。
法規制が急がれて、その翌々年、成立をみた。布告内容を以下に引く。
太政官第拾六號
自今以後北海道に於て猟虎幷膃肭臍を猟獲するを禁ず、犯す者は刑法第三百七十三条に照して処断し仍ほ其猟獲物を没収す、之を売捌きたる者は其代価を追徴す。
但農商務省の特許を得たる者は此限にあらず。
右奉勅旨布告候事
明治十七年五月二十三日
左大臣 熾仁親王
農商務卿 西郷従道
条文は内外に示された。
これでめでたし、ご苦労さん――と、安堵するにはまだ早い。
法が真っ当に機能するには、それを強制させる術、つまり「力」の裏付けが要る。「力」なき法、破ったところで痛くも痒くもない法は、畢竟存在しないも同然、ただのごまめの歯ぎしりだ。
当時の日本帝国に、相応しい
答えは『時事新報』にある。明治二十六年の、五月十二日の記事だ。
「近来密漁船我近海に出没し、本年は猟虎密漁の為め桑港を出発して日本に向ひたるもの、既に四十余艘に及びたる由なるが、途中にて暴風に遭ひ進路を転じたるものありて、其内二十余艘此程小笠原島に寄港したるにぞ、父島の如きは酒類払底にして、遂には砂糖焼酎迄悉皆売切らし、為めに数千円の収入ありたる由なるが、猟船は何れも五十噸以上百噸以下の小船にして、器械其他も整頓し居り、何れも北海道千島近海に向け此程同島を発したりと云ふ」
蹂躙は相変わらずだった。
性懲りもなく、資源を貪られている。
それにしてもだ。法の外ゆくアウトロー、密漁者の分際で、このふるまいはどうだろう。あけっぴろげもいいとこな、堂々たる航跡は。
人目を憚るなどといった可憐さは薬にしたくも見当らぬ。
日本の法律、日本の官憲、日本の存在そのものを歯牙にもかけてない限り、とても為し得る挙動ではない。星条旗の下にある身の気儘さというものだった。
宇内の形勢を説くにあたって、福澤諭吉が実に屡々「禽獣世界」と呼んだのは、およそこのテの情報を、うんざりするほどふんだんに仕入れていたからなのだろう。
曰く「今の万国交際は弱肉強食禽獣の道を以て相接すのみ。決して道徳を守り道理を説て相親睦するにあらざるなり。国を護るの法は唯兵備を厳にするの一事あるのみ」、
曰く「立国に武力の要用なるは封建の武士に双刀の要用なりしが如し。旧藩の士族は既に刀を廃するも今日一国の双刀は廃す可らず。単に之を廃す可らざるのみならず、益々これを研ぎ益々新奇を求めて際限ある可らず。今の禽獣世界に於て立国の基は腕力に在りと云ふも可なり」、
曰く「天地一家、四海兄弟の理想はたとひ高尚なるものにもせよ、畢竟架空の黄金世界たるに過ぎず、日本人民たるものは、唯まさに日本国の独立自治を講ずるを先とすべし」――。
さても雄偉な力への意志。
一字一字が輝くような、これぞ名論卓絶である。
個人的な情念をぶちまけさせてもらうなら、福澤には未来永劫、一万円の表面を飾っていて欲しかった。
(Wikipediaより、一万円札)
それほどまでに彼の器量は冠絶している。
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