二十世紀、女性の地位の向上は、得てして
これは戦争形態が
一次大戦はもとよりのこと、その前哨とも称すべき、日露戦争決着後の本邦内地にあってもやはり、社会の
たとえば明治三十九年五月下旬に
東京上野不忍池を会場に良馬の
――そういう競馬大会の、栄えある出場者の中に、少なからぬ女性の姿があったのは、蓋し着目に値する。
(Wikipediaより、楊洲周延『上野不忍大競馬』)
当時、浅草光月町に中根寅之助と名乗る古式馬術の達者が居って、その長女多津子を筆頭に結構な数の門弟が参加を認められたのだ。「竪縞小倉の武士袴に小袖をつけたるは白鉢巻に襷十字」が、つまり彼女らの装いで、もう見るからに清冽な、水際だった所作を拝んだ、その結果。
それ以外にも本大会には良家の子女が匿名希望で出場し、家人をひやひやさせたとか。
ちょっとした「おてんば姫の冒険」だった。
(フリーゲーム『Nユ』より)
お次は七月、逓信省の改革だ。
逓信省、――郵便・通信・運輸等に関連する行政を司るのを主務とする、言わずと知れた中央官庁。ここでは久しく以前より少なからぬ数の女性を「雇員」として使っていたが、今回これを「判任官」に、正式な官吏に格上げして迎えると、太っ腹なことをした。
事由を説明するにあたって逓信大臣秘書官は、
「抑々女子の判任官と謂へば、教職に在るものゝ外は現在に於ては、我国に一切存在せずして、全然創始時の事柄に属せるを以て、夫々其筋の意見をも叩き、任用令其他法規の上より差支なしと確定し、茲に始めて智識的の仕事を執る女子にして、優秀なるものに限り判任官に登用するに省議一決したり」
このような言辞を以ってした。
時代の先駆たらんとする意気込みが、逓信省にはまだ残されていたらしい。
翌々月には、民間もまたこれに続いた。
東京市街鉄道会社、
東京電車鉄道会社、
東京電気鉄道会社。
以上三社が合併して成立したる「東京鉄道株式会社」。ここでは新たな方針として、「女性雇員の増聘」をさっそくのこと打ち出した。「日給二十銭以上五十銭迄八時間勤務、小学校卒業以上の学力を有する独身者」。以上がつまり、募集要項の概要だった。
なお、言わでものことやもしれぬが、丁度このころ、裸体画モデルの代金が、一日六十銭ばかり。半裸なれば四十銭、着衣なれば二十五銭と、露出度の低下に比例して、順次下落する相場であった。
(小倉右一郎作『水の精』)
ポーツマス条約に調印してからものの一年を経ぬうちに、「女権」のみにフォーカスしても、これだけのことが起きている。
古老たちにはさだめし急テンポに思えただろう。嘗て女性の断髪を横目で見ていた我らには、なんと慌ただしい世か、と。
戦争は、終わってからも大変だ。
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