穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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戦の後の女たち


 二十世紀、女性の地位の向上は、得てしていくさの後に来た。


 これは戦争形態が部分・・ではなく総力・・へ――国家の持てるあらん限りの力を以って戦争目的遂行の一点に傾注するという、狂気の仕組みが齎した当然の作用であるらしい。

 

 

第二次世界大戦フランス軍高射砲陣地)

 


 一次大戦はもとよりのこと、その前哨とも称すべき、日露戦争決着後の本邦内地にあってもやはり、社会の表面おもてに浮上する女性の姿が一気に増えたものだった。


 たとえば明治三十九年五月下旬に開催ひらかれた、関八州競馬大会はどうだろう。


 東京上野不忍池を会場に良馬の健脚あしを競うのは、明治二十五年秋場所以来、実に十四年ぶりのこと。懐旧の気分も手伝って、陸軍からはラムネ三石の寄贈があるわ、遠く大阪の商店からも花火を提供してくるわ、素ん晴らしい盛り上がりぶりであったとか。


 ――そういう競馬大会の、栄えある出場者の中に、少なからぬ女性の姿があったのは、蓋し着目に値する。

 

 

Ukiyo-e sinobazunoike Horse racing

Wikipediaより、楊洲周延『上野不忍大競馬』)

 


 当時、浅草光月町に中根寅之助と名乗る古式馬術の達者が居って、その長女多津子を筆頭に結構な数の門弟が参加を認められたのだ。「竪縞小倉の武士袴に小袖をつけたるは白鉢巻に襷十字」が、つまり彼女らの装いで、もう見るからに清冽な、水際だった所作を拝んだ、その結果。歓声こえを上げるのも忘れ去り、一個の木偶に化したが如くただ呆然と突っ立つ者とて客の中には多かった。


 それ以外にも本大会には良家の子女が匿名希望で出場し、家人をひやひやさせたとか。


 ちょっとした「おてんば姫の冒険」だった。

 

 

フリーゲーム『Nユ』より)

 


 お次は七月、逓信省の改革だ。


 逓信省、――郵便・通信・運輸等に関連する行政を司るのを主務とする、言わずと知れた中央官庁。ここでは久しく以前より少なからぬ数の女性を「雇員」として使っていたが、今回これを「判任官」に、正式な官吏に格上げして迎えると、太っ腹なことをした。


 事由を説明するにあたって逓信大臣秘書官は、

 


「抑々女子の判任官と謂へば、教職に在るものゝ外は現在に於ては、我国に一切存在せずして、全然創始時の事柄に属せるを以て、夫々其筋の意見をも叩き、任用令其他法規の上より差支なしと確定し、茲に始めて智識的の仕事を執る女子にして、優秀なるものに限り判任官に登用するに省議一決したり」

 


 このような言辞を以ってした。


 時代の先駆たらんとする意気込みが、逓信省にはまだ残されていたらしい。

 

 

Ministry of Communications Japan 1912

Wikipediaより、逓信省

 


 翌々月には、民間もまたこれに続いた。


 東京市街鉄道会社、

 東京電車鉄道会社、

 東京電気鉄道会社。

 以上三社が合併して成立したる「東京鉄道株式会社」。ここでは新たな方針として、「女性雇員の増聘」をさっそくのこと打ち出した。「日給二十銭以上五十銭迄八時間勤務、小学校卒業以上の学力を有する独身者」。以上がつまり、募集要項の概要だった。


 なお、言わでものことやもしれぬが、丁度このころ、裸体画モデルの代金が、一日六十銭ばかり。半裸なれば四十銭、着衣なれば二十五銭と、露出度の低下に比例して、順次下落する相場であった。

 

 

(小倉右一郎作『水の精』)

 


 ポーツマス条約に調印してからものの一年を経ぬうちに、「女権」のみにフォーカスしても、これだけのことが起きている。


 古老たちにはさだめし急テンポに思えただろう。嘗て女性の断髪を横目で見ていた我らには、なんと慌ただしい世か、と。


 戦争は、終わってからも大変だ。

 

 

 

 

 


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