黒っぽいものを歩哨が見つけた。
明治三十七年九月中旬、当節遼陽大鉄橋と通称された構造体の下である。歩哨の所属は、むろん日本陸軍だ。遼陽会戦が決着してから二週間ほど経っている。一帯の勢力図はまず以って、皇軍の色になっている。
歩哨は思った、
(前回ここを
と。
記憶力には自信があった。
神かけて誓えることである。
如何にも日本人らしい生真面目さを発揮して、銃を持つ手に警戒を籠め、物体の正体を確かめるべく歩みゆく。
が、いざ近づけば益体もない。
(なんだ、露兵の上着かよ)
前夜来の雨により、増水した太子河の流れに沿って運ばれてきたものだろう。
ところどころ、どす黒く変色した生地は、泥汚れでは断じてない。もっとずっと
(日露戦争、投降したロシア兵)
(ふむ。……)
かがみこみ、何の気なしに持ち上げる。
と、ポケットから滑り落ちる小さな影が。
手帳であった。こちらの汚れもだいぶ酷いが、それでも中身はまだ読める。歩哨は陣地に持ち帰り、通訳に渡すことにした。
「面白いものを拾ってきたな」
どれどれ、すぐに読み解いてやる。気軽に請け負った通訳だったが、ページを捲るに従って、頬のあたりの筋肉があからさまにこわばった。
「どうした」
「日記らしいな」
「珍しくもない」
「ユダヤ人だぜ、こいつを書いた野郎はよ。――」
「……、それは」
なるほど確かに、一驚せずにはいられまい。
多民族国家を相手にしている現実を、改めて突き付けられた思いであった。
ほどなく手帳の存在は陣中皆に知れ渡り、通信員の手によって本国にも伝達されることとなる。
翻訳済みの文章が大阪毎日新聞紙面を
以下、例によって例の如く、
上下を問わず、明治人の感情が、なにゆえ激しく揺さぶられたか。きっと察しがつくはずだ。
八月十日
今朝高塔の下にて、一美人の逍遥するを認めぬ、看護婦とかや、スラブの看護婦は、病院に勤務せずして、無病の将校と戯る、奇ならずや、翻って余の境遇を思へ、
(ロシア軍の野戦病院)
八月十一日
(前略)余は未だ先月分の俸給を受け取らず、隊長殿の
八月十二日
余は夜もすがら泣きぬ。戦友の余を虐ぐること、何ぞ斯の如く甚しきか、寝台を並ぶるを嫌ひ、食を共にするを厭ふ、間断なく見舞はるゝはただ無情の鉄拳あるのみ、アゝ昨夜も、アゝ昨夜も。ユダヤ人もまた人類にあらずや、否スラブよりも古き歴史尊き神を戴く、善良の民なるを。われ既にこの虐待を被る、しかも尚ほスラブの為めに戦ふの義務あるか。
昼は来たれり、また食堂の隅に潜んで彼等が余せる堅き黒麺麭を食まんか。更に唯々として奴隷の如く使役せられんか。…(判読不能)…軍隊に自由なしといふ、然れども彼等はウォッカに酔ひ、売春婦に戯るゝの自由を有す、余に至っては
ポグロムとは、つまりこういうことなのか。
金も貰えず、酷使され、憂さ晴らしに打擲される。
せせら笑われ、軽蔑されて、立つ瀬というのがまるでない。
帝政ロシアのユダヤ虐待、酷烈無惨なその様子。ジェイコブ・シフが大日本帝国の後援にほとんど打算を超越してまで入れ込んだ、これが理由の一端だ。
(Wikipediaより、ジェイコブ・シフ)
もう少しばかり、抜粋を続ける。
八月十三日
起床喇叭に驚かされて厩をはなる、凶か吉か、胸甚だ騒ぐ、朝ごとの日課たる隊長殿の靴を磨き、営所の床を拭ひ、炊事用の水を汲む、胸愈々騒ぐ、(中略)午後二時、転隊の命下れり、遼陽停車場守備隊の雑役に従事せる余は、首山堡方面にあるシベリア狙撃隊第十三連隊に編入せられたるなり。聞くならく敵は鞍山店を襲撃せんとしつゝあると。余の転隊はやがて戦はんとするが為なるべし。
同胞イワノフは南山の役に倒れたり、デミトリは得利寺に死せり、パウルもアンドレも悉く敵弾のもとに倒れぬ。さなり卑怯なるスラブは、余等憫れむべき同胞を先頭に進ましめて、弾丸の的たるを常とす、虐待既に苦し虐待の報酬として貴重なる生命を奪はるゝは、更に大に苦し。
もはや疑念の余地はない。
彼は肉壁のいちまいだ。肉の壁の素材が遺した慟哭が、すなわち手帳の真実だ。
人は城、人は石垣、人は堀。武田信玄の
八月十三日の記述は最後にこう結ばれる。
われ
首山堡。
遼陽会戦の焦点として、この地名は有名だ。
十三万の皇軍と、二十二万のロシア軍とがぶつかり合った闘争の、激戦区中の激戦区。
(Wikipediaより、遼陽会戦)
鉄風雷火の限りを尽くす、弾丸雨飛のキルゾーンにて、肉壁役が生き延びられる公算は。ああ、本当に、この浮世では嫌な予感ほどよく当たる。
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