穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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無効票に和歌一首


黒白を 分けて緑りの 上柳
赤き心を 持てよ喜右衛門

 


 投票用紙に書かれた歌だ。


 もちろん無効票である。


 明治四十二年九月に長野県にて実行された補欠選挙の用紙には、とにかくこのテの悪戯が、引きも切らずに多かった。

 

 

(信州諏訪の風車。「これは地下のアンモニア水を汲みあげ稲田に引いてゐるので、この地方を旅する者の旅情をそそる」。大正末には百個以上も立っていた)

 


 当選したのは、上柳喜右衛門


 12代続く酒屋のあるじで、無効票には明らかに、それを揶揄ったやつもある。

 


飲まれても 酒屋なりけり 上柳

 


 まず以って、この一首が例としては適当か。


 候補者氏名を書く欄で大喜利を展開する阿呆は、こんな頃から居たわけだ。


 大正デモクラシー以前、選挙は当然、制限選挙。十八歳以上の国民すべてが有権者など思いも寄らぬ。満二十五歳以上の男子に加え、直接国税十円以上を一年間に納めなければ貰えない、斯くも貴重な代物を、よくまあ無為に出来たもの。大胆と言えば、なかなか大胆な遊びであろうが。


 あるいは勝者が分かりきっているゆえの、捨て鉢的な抵抗ないし嫌がらせだったやもしれぬ。

 


雲を平らげ降旗捲かす、
独り舞台の上柳


雨風も なくて気楽な 上柳
独り舞台で 心喜右衛門


妥協から 出るも幽霊 上柳
身を降旗の 恐れ喜右衛門


軍門に 降旗掲ぐも 是非もなく
元太を問へば 金のなきゆゑ

 


 このあたりを窺うに、どうもロクな対立候補が存在しないか、資金調達が捗らず、立候補すら覚束なかった気配がにおう。


 端から結果は見えている、出目の決まったサイコロ勝負、真面目にやるのも馬鹿くさい。


 已むを得ざる人情として、一定の共感は得られよう。

 

 

 


 剥き出しの悪意――歌に昇華される前、原料そのまま、素材の味を、投票用紙にぶちまけた、粗忽野郎も居たようだ。

 


「涜職院収賄呑六居士アーメン」――やはり酒屋にかこつけたに違いない。


「御茶にもならない選挙」


「何と書いていゝか更に分らぬ」――だったら白紙のまま出せや。


「今度に限り一文にもなり申さず候」


「妥協たァなんだべら棒め! 皆んな金だ無警察」

 


 総じてえらい剣幕である。

 

 

(viprpg『みそげ!やみっち!』より)

 


 南と北とで角突合って、屡々血を見る争いをする、信州人の気質というのをよく表徴しているだろう。


「日本の政治は何度やっても結局源平・・になっちまう」


 そう呟いて肩を落とした尾崎行雄の心境に、ちょっと共感シンクロできそうな、つまりそんな景色であった。

 

 

 

 

 


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