エマーソン曰く、自由な国の民というは自己の自由を実感するため、意識的にせよ無意識的にせよ、時折わざと間違ったことを仕出かしたがる生物だとか。
正直なるほどと頷かされた。
ウィリアム・バロウズ――例の
――名ばかりの犯罪行為によって自由を危険にさらすのはロマンチックな贅沢のように思えた。
こんな告白を行っている。
そうしてスリルを愉しむうちに、バロウズは麻薬と「運命的な出逢い」を果たし、二度とは戻れぬ魔道へとひたすらに沈淪していったわけだが、まあそれはいい。
英国のとある老紳士、
彼は列席者に対し、新品のパイプと十ポンドの煙草を漏れなく配り、ぜひともそいつをふかしながら「土は土に、灰は灰に、塵は塵に」を唱えてくれと、死の床から遺言したのだ。
この構想は遺族によって、つつがなく実現されている。
アメリカが時に発揮する、信じられないほど馬鹿げきった脱線模様――禁酒法だのポリコレだのも、あるいはこの性癖が少なからず手伝っているのやも知れぬ。
禁酒法といえば、近ごろ以下の如き巷説を見かけ、大いに興味をそそられた。
ある観察者に至っては、アメリカの禁酒法が出て以来、欧洲行のアメリカ人には酒は不自由の自国の汽船を嫌って、酒が自由の外国船を選択し、それで酒が自由で且つうまくもあるフランスへ行くので、一ヶ年約八億円内外のアメリカ人の金貨はフランスへ搾取される。これが金がフランスに偏在するに至った重大の理由の一つだと解釈して、アメリカの禁酒法はフランスに巨額の奉納金をして居ると指摘して居る次第である。(昭和十二年、金子準二著『精神病の境界線』5頁)
というのも、普仏戦争について学んだ際に、似たような噺を目にしたからだ。
なんでもフランス国内に雪崩れ込んだプロシア軍は、行く先々で物資徴発を繰り返し。
その過程で味わったフランスワインのあんまりにもな芳醇ぶりに腰を抜かすほど驚いて、病みつきとなり、戦後フランスから撤兵しても焦がれて焦がれて仕方なく。
勢い輸入は空前絶後の盛況を呈し、その代価によりフランスは、敗戦により支払った賠償金をたちどころに取り返したと――確かこんな流れであった。
(フランス、マルセイユの取引所附近)
武力では負けても文化的には勝ったのだと我と我が身を慰めたがる、一種可憐な自尊心の発露であろう。
べつに批難には及ぶまい。生を喚起し、前へと進み、再起を促す力になるなら結構至極なことである。
実際彼らは普仏戦争の敗北を、第一次世界大戦の勝利によって償った。
文句のつけようのないことだった。
にしても、その拠りどころが「ワイン」なのは面白い。伝統と格式と、それからもちろん既得権益を
二十一世紀のこんにちでさえ国産ワインのためならば、輸入ワインを安く売ってるスーパーを爆破するのも厭わない、それだけのこだわりを保っているのだ。
いわんや十九世紀に於いてをや。
どれほど誇りに思っていたか、とても想像しきれない。
民族の精神を支える柱は実に千紫万紅で、見ていて飽きることがない。
(トンネルに貯蔵される甲州ワイン)
〇仏国と英国の新聞の論調を比較して見ると、前者は不平を鳴らし、似而非理屈をこね、英国の意見に敏感であるが、後者はこれに反し、仏国の意見に対し決してびくびくせず、尊大で軽蔑的である。
〇仏人は自然に英人と対象をなし、英人が白墨で自己の特権を描くところの黒板にされてゐる。かゝる驕慢は仏人に対する諷喩のうちに何時も現はれて来る。アメリカ、ヨーロッパ、アジアに於ける英人は、彼等がフランス生れでないことを密かに喜んでゐることゝ予は想像する。コーリッジ氏はある講演の終りで、彼が仏語で一句をも発しないやうに、神様が彼を守護し給ふたことを公然神に感謝したと言はれてゐる。
エマーソンによる英仏比較対照も、せっかくなので載せておく。
なにやらテーマの一貫しない、とっちらかった記事になったが、まあ仕方ない、春なのだ。
何かと気分が浮ついて一点に集中力を注ぎ込めない、季節性を反映したということで、どうかご寛恕願いたい。
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